私の処女作『ちょびつき留学英語日記』(ジャパンタイムズ刊)が出版されました!本を出すことが子どものころからの夢だったので、出来上がった自分の本を初めて手にしたときは、自分の夢が"intangible"(手で触れてみることのできない)なものから"tangible"(手で触れてみることのできる)ものとして形になったことが、ほんとうに嬉しかったです。
ようやくスタートラインに立てたばかりですが、ここまでの道のりを思うと、たくさんの方々にご指導いただいたおかげだと、しみじみとした感謝の気持ちがわいてきます。
以前、JT編の第2回でお話させていただいたように、私は帰国してから、日本の大学院に通っていたことがありました。文学が好きな私に大学院へ行くことを勧めてくださったのは、両親の仲人で英文学の教授の水田先生です。
先生の専門は偶然にも、私がコロンビア大学で最も関心を持って勉強したAfrican-American literature(アフリカ系アメリカ人の文学)でした。大学時代に勉強した教科書を持って、お宅へお邪魔すると、ゴスペルと文学の関係など、興味深いお話をたくさん聞かせてくださいました。そんなわけで、私はいつも先生をたずねて行くのが楽しみでした。
James BaldwinやRalph Ellisonなどの黒人作家の作品を暗記するぐらい読んでいた私に、
「加奈ちゃん、そんなに黒人文学が好きなら、大学院へ行って英米文学の教授になったらどうだい?いつか、ボクの研究を引き継いでやってくれよ」
と、ニコニコしながらおっしゃったものです。もちろん私も、文学の先生になって黒人文学を教えながら自分の小説が書けたら、どんなにいいだろう、と思いました。
ところが、私は希望する大学院へ入学できたのにもかかわらず、たった数ヶ月で大学院を中退してしまいました。7年間のアメリカでの学生生活から日本での学生生活への変化に適応することができなかったのです。山梨の両親の家に戻ってからも、こんなに簡単に挫折してしまう自分が情けないやら、期待して送り出してくれた水田先生や両親に申し訳ないやら…。
その後、ウツ病のようになってベッドから起きられなくなった私に、水田先生からの手紙が届きました。細い万年筆の深い青色のインクで書かれた、10数枚の手紙でした。
「人生には、うまくいかないこともある。けれど、必ず、また素晴らしいこともある。このことで文学を諦めないで…」
という内容でした。
先生の言葉はありがたかったのですが、当時の私は将来に対して絶望し、これからのことを考えるたびに途方にくれていました。あらたな一歩を踏み出そうにも、どちらの方向へ行けばいいのか分からなかったのです。
だから、私がジャパンタイムズに入社して、英語で記事が書けるようになったときは、先生は、ほんとうに喜んでくださいました。留学の経験を活かせる仕事だったからです。でも、私自身は「もっともっと、いろいろなことを先生に報告できるようになりたい…」と密かに思っていました。
そして、大学院中退から約10年が過ぎた先月、『ちょびつき留学英語日記』の出版が実現しました。さらに、今月には、別の出版社からも私の留学の体験を書いたノンフィクションが出るので、
「今度のお正月には2冊の著書を持っていって、先生を驚かそう!」
と、ワクワクしていました。
ところが、父が先生に本の出版を報告するために手紙を書いた3日後。たまたま父のコンピュータの前に座っていた私は、メールの着信サインが点滅したのを見て、父あてに来たメールを開けたのです。
「訃報…?水田先生が…」
私も、そばにいた両親も、言葉を失いました。母は、なにかの間違いじゃないかというような面持ちで読み直していました。
お通夜の晩、先生の奥様にお会いしたとき、「ご愁傷様です」の一言も言えず突っ立っていると、
「本をお棺に入れました」
と静かに教えてくださいました。また、先生のご長男の方からは、
「加奈ちゃんの本がジャパンタイムズから出るって言ったら、喜んでいましたよ」
と声をかけていただきました。私の本の出版を知ったのは、お亡くなりになるちょっと前のことだったのだと思います。
通夜式の前に、先生のお写真を見上げて座っていると、なんと会場にジャズが流れてきました。先生の好きな曲でした。「お葬式に、こんな洒落たジャズなんて…」と、なんて先生らしいんだろうと思いました。黒人文学が大好きだった先生を思い出して、涙が流れました。ご親族が涙をこらえていらっしゃる前で、子どもみたいに声をあげて泣いてしまいました。
人生は、ときに、とても皮肉だと思いました。すべてこれからなのに。アメリカの黒人文学に影響を受けた私が、いつか自分が書いた小説を先生に読んでいただこうと思っていたのに…。毎年、お正月にお宅へお邪魔するたびに「本をたくさん読むんだよ」とお年玉をくれた先生は、今はもう私の前で微笑むばかり。何も言葉をかけてくださいません。
私は、先生に恩返しできなかったことをなんども謝りました。いつまでも悔いが残る中、先生の文学に対する想いを、自分が精一杯受け継いでいくことを静かに約束したお通夜でした。
つづく
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