いよいよ11月に、私の初めての著書『ちょびつき留学英語日記』(ジャパンタイムズ刊)が出版されます。原稿を書き終わってホッとしていたころ、著者紹介用の写真を送ってください、と編集担当のIさんからメールが来ました。「シメシメ、5年前ぐらいの写真を使おう!」と思っていたら、外野から「詐欺師!信用ならない!」などなど非難されたので、しぶしぶ最近の写真をIさんに送信しました。
ところが印刷用の写真なので「解像度が最低でも350dpiは欲しい。この写真じゃ、ちょっと解像度が低すぎて、本に載せられません」という返事が来てしまいました。最近の写真で、そんな解像度が高い写真を持っていないため、不本意ながら新しく写真を撮ることになってしまいました…。
それでも往生際悪く、
「えーと、アンジョリーナの手足と、JLoのお尻と、レイチェル・ワイズの顔とチャン・チィーの髪を合成するってのはどうかな?」
と、得意の画像編集ソフトで絶世の美女を作っていたら、またまた外野に
「それじゃ、加奈ちゃん、ぜんぜん残ってないじゃん!」
と突っ込まれました。
「テヘヘ、声は、ビヨンセがいいな」
と付け加えると、完全に呆れられて無視されはじめました(涙)。
それにしても、自分のプロフィールの写真を他人に撮ってもらうというのは、案外気恥ずかしいものなので、家族に頼もうとすると、みんな非協力的です。「撮りたくない」とか「他の人に頼んでくれ」などと言うのです。唯一、弟が「いいよ」と大役を買って出てくれたので、「若く見えるように撮ってよね」とか「背は高くて、体重は今より10キロぐらい少なく見えるようにね」といろいろ注文をつけると、「ノンノン」と人差し指を左右に振っています。
「加奈ちゃん、子ども時代のことを、よく思い出してみなさいよ、あなた。小学生や中学生のときの国語の教科書を、ちょっくら本棚から探してきてごらん」
何のことかと思って、自分がむかし使った教科書を引っ張り出してきました。そして開いてみると、びっくり仰天!なんと作家のプロフィールの写真に、ことごとく落書きがしてあるではありませんかぁ!ガガーン。
青ざめて弟の顔を見ると、ニタニタしています。
「作家先生、どうやらおわかりになったようですね?あなたの写真もこういう運命をたどるのですよ、ムフフ」と、弟。
「キエー、キエー、そうならないようにするにはどうしたらいいの?!」無残な教科書の写真を見ながら聞くと、弟はいつもは夜にならないと腫れの引かない、細い目を大きく見開いて言いました。
「加奈ちゃん、人間の心理を考えてごらんなさい。つまりさ、『これ絶対うそじゃーん。格好つけすぎ〜。むかつく〜』と思うと、余計、落書きがしたくなるでしょう?きどった顔になればなるほど、ちょんまげ、げじげじ眉毛、鼻毛、ちょび髭、ほっぺたのナルトちゃん、おでこの光、ほほの鍵傷、目の下のクマ、なんかを描きたくなっちゃうもんなんだよ」
私は自分の顔にそういう落書きをされるのを想像しながら、リアリティに溢れる弟の話を聞いていました。
「つまり解決策は、ひとつです!ジャジャーン。最初から落書きされた顔を載せるか、いつもの姿をさらけ出すんですよ!」
そう言って弟は、こたつで書き物をしている私を指さしてケラケラ笑いました。
「読者の方に、ありのままの姿を見てもらうことが重要だね。うんうん。その一日中着替えないダマがついてるフリースのパジャマ、洞窟から出てきた原始人のカツラみたいな髪型、趣味の悪いメガネ、メンタムリップしかしていない素顔。いーねー、いーねー。その顔ならもう落書きの必要がない」
爆笑する弟を見ながら、「そうだ、最初からこんなヤツに大切な写真撮影を頼むほうが間違っていたんだ」と後悔しましたが、同時に、確かに作家のプロフィールの写真は、落書きのための最高のキャンバスであるという事実も認めざるを得ません。自分の教科書を見てみれば、「自分の写真だけは大丈夫」などと淡い期待をすることは、現実逃避以外の何物でもないでしょう。
@ 歴史は繰り返される→落書きした者は、落書きされる
A メッキはいつかはげる→ほんとうの姿をさらけださない限り、何らかの形でほんとうの姿が"Reveal itself"(自身をさらけ出す)する。
B 退屈で抑圧された読者の創造性を甘く見るな→つまらない英語のテキストを読んだあとは、落書きに特に力が入る
といったゴールデン・ルールにチャレンジすべく、たとえ落書きされても、被害を小さく留めたいもんだ、と最後のあがきをするちょびつき筆者なのでした。
つづく
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