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2014年2月28日号掲載の記事(ST編集部訳) print 印刷用に全て表示
Essay

Graduation (p. 9)

卒業式

2月28日は、昨年の8月に日本を離れて以来ずっと楽しみにしてきた日。京都に住んでいた時に教えていた学校の卒業式の日だ。

日本で仕事をする前は、卒業式は私にとって大きな意味を持ったことはなかった。自分の小学校、中学校、高校の卒業式のことすらあまり覚えていない。親が卒業式に行かないことはよくあることで、私の親も例外ではなかった。それは大したことではなかった。

私の親は大学の卒業式には出席したが、出席しなかったほかの多くの親のことも知っている。友人のなかには、卓越した成績にもかかわらず、旅行に行くからと自分の卒業式に出ない人もいた。私たちは卒業をほとんど感傷を持たずに捉えている。

成績発表の日の方がよく覚えている。シンガポールの生徒は、学業の段階の終わりごとに、国の試験を受ける。成績表が配られるとき、涙―うれしくてか、がっかりしてかのどちらか―がよく流れる。先生も生徒も、卒業式で見られるよりもずっと多くの感情を見せてハグをしあう。

この一見すると奇妙な状況の理由の一つは、学期のカレンダーにある。私が生徒だった頃、成績発表の日はたいてい、卒業式の1、2カ月後だった。「卒業した」という感じがしなかったのはそのせいだろうか? 成績が分からない状態で、夢の学校への進学については楽観的でいられた。それに、シンガポールでは小さい。たとえ、違う学校に進んだとしても、比較的、友人と連絡を取り続けることは容易だ。

高校を卒業して10年以上になる。シンガポールの学校の多くはだんだん卒業式に関心を高めるようになってきたと聞いている。生徒たちはよく卒業ダンスパーティーを開催する。

卒業ダンスパーティーと日本の正式な卒業式という選択肢を与えられたら、私なら絶対に後者を選ぶ。その行事(卒業式のこと)の意義と重要性、そして細部に至るまで大いに注意が払われていることにどれだけ衝撃を受けたか、忘れることはないだろう。私の生徒たちが大きな喝采の中を整列して出てきたときの感情に圧倒された感覚を覚えている。

卒業式のために京都に戻る予定だ。日本で4回目になる。私は気持ちを隠すことが前よりもうまくなったが、卒業を成し遂げた人たちに対する感動と感謝の気持ちの波を抑えることは今でもできそうにないし、したいとも思わない。彼らが新鮮な顔をした1年生として高校に入学してきたときから彼らを知っている。成熟した卒業生として世界に挑もうとしている彼らを見られることは、恵まれたことであり、光栄なことであり、深く感謝している。

あなたも今年卒業だろうか? あるいは家族や友人の卒業式に出席するのだろうか? あなたの卒業式が胸を打つのと同じくらい元気づけられるものでありますように。そして、終わりを示すものにとどまらず、美しい始まりを示すものになりますように。

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