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2014年8月1日号掲載の記事(ST編集部訳) print 印刷用に全て表示
Essay

Living a language (p. 9)

ある言語を使って生活するということ

「彼女は英語を話していたの?」

「彼女」というのは、とあるカフェのウェイトレスだった。日本から来た友人たちがシンガポールにいて、そこにはコーヒーを飲みに行った。メニューを持ってきたウェイトレスは、きっと彼女がいつも言っている最初の一言「ご注文はカウンターでお願いします」を、早口でまくしたてた。

彼女はあまりにも速く話し、一語一語の間にほとんど間がなかった。友人たちは英語を話すが、彼女が何と言ったのか聞き取ることができなかった。私には彼女の言ったことが理解できたが、それには2つの理由がある。まず第一に、彼女のアクセントに慣れていたこと。第二に、そのカフェには以前にも行ったことがあって、注文の手順に慣れていたことだ。

どんな言語の学習者でも分かるように、教室で学ぶことが教室の外で耳にすることと同じであることはめったにない。私はシンガポールで日本語を学んでいたとき、「標準的な日本語」にしか触れていなかった。京都では、友人と同僚は関西弁や京都弁で話した。何が話されているのかを把握しようとすると、たくさんの言葉が私の頭上を通り抜けていった。

徐々に、私はこれらの2つの方言を聞き取ることに慣れてきて、話すことにさえ慣れた。東京から来た日本人の友人に「関西弁を話しているじゃない!」と驚いて言われるまで、自分でも気がついていなかった。関西弁と京都弁に特有の語彙を使っていただけでなく、一定の言葉を関西流で発音までしていた。

私はそれを聞いて何よりも喜んだ。それは、京都がどれほど自分にとってのホームになってきているかを示す指標のようなものに思えた。何より、私は自分が話す日本語が関西の友人や同僚が話すのと同じようになるように望んでいた。

シンガポールにいる外国人に同じようなことを見たことがある。シンガポールは世界一外国人の割合が高い国の一つだ。2011年12月時点で、シンガポールの全人口は526万人、そのうち327万人(言い換えると62%)はシンガポールの国民だった。残りは、永住者54万人と非居住者146万人で構成されていた。後者は、非永住を基本としてシンガポールで就業しているか、勉強しているか、居住している人たちのことを示している。

屋台市場で、私はよく外国人が食べ物や飲み物をシンガポール流に注文しているのを耳にした。例えば、シンガポールでは地元のコーヒーを注文するとき、ブラックコーヒーなら「コピオ」、コーヒーにミルクと砂糖を入れるなら「コピ」、ミルクを入れるが砂糖は少なめのコーヒーならば「コピ・シウ・ダイ」と言う。気が遠くなるほどたくさんの組み合わせがあり、そのリストは延々と続く。

外国人はこれらの用語を常に正確に理解しているわけではないが、私には地元で働いている人々が大いに面白がっていて、たぶん外国人が使ってみようとするだけでも喜んでいるのがわかる。

地元の話し方である言語を使うことは確かに、ただ本で言語を学ぶよりもっと難しい。しかし、それは毎日の生活の中で使われる言葉の生気と呼吸を通じての学びで、とても多くの―どんな言語能力テストの結果がもたらしうるものよりもずっと多くの―喜びと満足が得られるものだ。

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