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2017年11月17日号掲載の記事(ST編集部訳) print 印刷用に全て表示
Essay

The 1927 doll exchange (p. 9)

1927年の人形交換

私たちは今、国家主義と軍国主義が高まっている時代に生きている。世界は偏見と差別にあふれている。平和を広げるために私たちには何ができるだろうか?

1つの方法は、過去を振り返り、国際理解のために努力した人々から学ぶことだ。良い例が1927年に日本とアメリカとの間で行なわれた人形交換だ。

1920年代は、日本とアメリカとの間で緊張が高まった10年間だった。日本人とアメリカ人はお互いを恐怖と不信の目で見ていた。

これに対抗するために2人の人物が行動を起こすことにした:宣教師のシドニー・ギューリックと、日本の実業家、渋沢栄一だ。彼らは一緒に、日本とアメリカの子どもたちの間で親善を深めるため、国際的な人形交換のアイディアを思い付いた。

そのプロジェクトは、ギューリックがアメリカの学校に対し、日本へ親善のための人形を送ってもらえるように呼び掛けをして始まった。アメリカ中の子どもたちが彼の求めに熱意を持って応じた。1927年までに、ギューリックは12,000体もの人形を集めた!

これらの人形はサンフランシスコから日本へ船で送られた。どの人形にもパスポート、贈り物、友情の手紙が添えられていた。

「青い目をした」アメリカの人形が到着すると、マスコミで大きな話題になった。人形を歓迎するために国家的な式典が開かれた。それから、この人形たちは、あらゆる市、町、村に、アメリカの子どもたちからの友情の贈り物として配布された。

お返しに、渋沢は日本の人形をアメリカに送る全国的なキャンペーンを立ち上げた。日本中の子どもたちがお金を寄付した。50体以上の「人形使節」―各県からの1体ずつを含む―が送られた:ミス長崎はニューヨークへ、ミス富山はケンタッキーへ、ミス高知はペンシルベニアへ、といった具合に。

この善意の波は10年以上続いた。残念ながら、国家主義と軍国主義の力の方が強まっていった。

1941年に戦争が始まると、アメリカの友情の人形は突然「敵の」人形になった。教師や生徒は、その人形を蹴り、刺し、燃やすように指示された。政府の官僚たちは人形を破壊するように命じた。

第二次世界大戦が1945年に終わり、「青い目をした」人形は歴史の中で失われたように思えた。驚くべきことに、1970年代に、いくつかの人形が発見された。戦時中、何人かの勇敢な日本人の教師と生徒は、命令に背き人形を隠していたのだ。今までに、300の人形が日本中で発見されている。

1927年の人形交換は、90年前のことだ。当時の憎しみと偏見に立ち向かおうとする2人の個人―1人はアメリカ人、1人は日本人―による勇気ある試みだった。生き残った人形は、平和と国際理解の象徴として大切にされている。どの人形にもユニークなストーリーがある。あなたの県にはいくつあるだろうか?

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