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2014年3月14日号掲載の記事(ST編集部訳) print 印刷用に全て表示
Essay

Not goodbye (p. 9)

さようならではない

会話はややサンドイッチのようだ。中身―メッセージのこと―が大事だが、全てをひとつにまとめるしっかりした「こんにちは」と「さようなら」がなければ、床に散らばった収集のつかないものをかなり残されてしまう。

祖母と私は数々のおいしいサンドイッチを一緒に楽しんだ。私の限られた広東語でどうにか人権問題について祖母と話し合うことができ、ミス・トランスジェンダー・コンテストの魅力的な優勝者が男性として生まれたことを納得させることができ、同性愛者の結婚について彼女の意見を得ることができた。私たちの議論はサンドイッチを噛みしめるようなものだったが、かじったものを吐き出した(議論を投げ出した)ことは一度もなかった。

私たちが電話で話すときはいつも「元気?」で始まり、「もうご飯は食べた?」に移り、そしてたいてい「身体に気をつけてね」で終わる。「さようなら」で別れたことは一度もないと思う。全言語に、「幸運を祈る」「また話しましょう」「ありがとう」「またね」「元気でね」「また今度」「連絡するよ」「会えてよかった」など、(さようならの)代わりの言葉がある。

最近祖母に別れを告げたとき、これらのうちどれもしっくりくる言葉がなかった。祖母は海洋散骨を望むといつも表明していた。家族と一緒に優しく揺れる船の上に立ったとき、彼女のくれたインスピレーション、ユーモア、寛容さ、寛大さ、温かさ、膨大な知識が詰まった小さな箱と見つめて、この特別な会話をどうやって終えたらいいのか、言葉に詰まった。

無敵だと思っていた誰かにどうやってさようならを言うだろう? あなたも同じだと感じさせてくれた人にどうやって? できるとは思わない。おばあちゃんと私はお互いに思考の糧をいつも与え合ってきて、一緒に食べるサンドイッチがまだたくさんあるような気がする。

別れが好きだったことはない。いつか私が残していく人たちと会えると正当化することで、別れに対処することを学んだ。祖母とはしかし、物理的に会うことはもうできないと知った。この段階で来世があると想定することもできたが、現世を考える方が好きだ。この世でもまだ話すことができると思う−小さな静かな方法で。私の住む日本の町で80代の背の低いたくさんの女性の一人に合うときはいつも、「元気?」と聞こえるだろう。脂肪分たっぷりの料理を作ろうとしているときはいつも「もうご飯は食べた?」と聞こえるだろう。バケットを見たら、誰かを殴り倒すのにバケットを使う方法をおばあちゃんが教えてくれたときのことを思い出して意味ありげにくすくす笑うだろう。

今はおばあちゃんとの会話を終わらせる方法が分かる。さようなら、元気でね、あるいは、また今度とは言わないが、一つだけしっくりくる言葉がある:「おやすみ、おばあちゃん。大好きよ」。

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