週刊STの紙面やオンラインで、『ちょびつき留学日記』の連載を書かせていただいていたころから、読者の方に頂いたお便りは、すべて大切にとってあります。とくに、オンライン連載の方は、世界中どこに居ても読んでいただけるので、「今、アメリカの○×高校に留学しています!」なんていう学生の方からも、たくさんメールを頂きました。
最近では、週刊STの紙面で『Kana's 英語のことわざ・名言手帖』を連載しているので、お気に入りのことわざについてのお便りも頂だいたりします。中には、学校の先生もいらして、「今、クラスでこんなことわざを教えているんですよ」と紹介していただくこともあります。
また、この連載の『留学日記[作家編] — Vol. 24:お友だちの披露宴の巻』で、私が、依頼されたピアノ演奏でどんな曲を弾けばいいか悩んでいたときには、読者の方からロマンチックな曲を多々紹介頂き、感激しました。
読者の方のお便りからは、時には英語学習の方法について教えて頂いたり、また時には、留学体験について分かち合っていただいたりして、いつもありがたく拝見しています。
さて、最近のお便りで一番ビックリしたのは、私がアメリカに留学していたときに通っていた大学に現在留学中、というUさんからのメールです。『留学日記[大学編] — Vol. 10:スペシャル版 その1・ジャパニーズ・デズデモーナ』でも書かせて頂きましたが、私は大学1年のときNJ(ニュージャージー州)にある小さな大学に通っていました。
その後、ボストンでサマースクールを受けて、ニューヨークのコロンビア大学に編入したので、このNJの大学で勉強したのは約1年のみ。けれども、その1年の間、毎週何度となく英語のエッセーやレポートを添削してくださったブラウン先生、という方には、たいへんお世話になったものです。
ブラウン先生は、留学生の中で、レポートの英語が必須のレベルに達していない学生がいる場合、文法はもちろんのこと、全体の構成やプレゼンテーションについても、細かく指導をしてくださっていたものです。
その大学は白人の学生が多く、当時、学部で日本人と言えば、1年先輩でお父さんが日本人のEちゃんと私の2名だけでした。ほかのアジアの国からの学生も少なくて、数週間もすると、私はブラウン先生のオフィスで常連になっていました。
先生は、英語が母国語でない大学院生の卒論も指導していたので、それは忙しい方でしたが、いつも私のレポートを見る時間を作ってくださったものです。私の論文がなかなかまとまらず、夜中の12時すぎまで見てもらったこともあります。そんなときは「どうして、あたしの英語って、こんなダメなんだろう…」と、先生のオフィスから自分の寮に帰るまでの道すがら、みじめで情けなくて涙してしまいました。
ある冬の寒い日、夜中を過ぎてしまうと、ブラウン先生がオフィスの前に駐車してある自分の車で、キャンパスの反対側にある私の寮まで送ってくださったこともあります。
そこまでブラウン先生が心を砕いて指導してくださったのにもかかわらず、私はますます自信をなくして、自己嫌悪の気持ちでいっぱいでした。ライティングのクラスの成績が悪すぎて、入りたかった文学部にはとても入れそうにない、という状況にも、悲観しきっていたのかもしれません。
いずれにしても、「今日はこれだけできた!」という気持ちより、「今日もこんなにできなかった。こんなに間違えてしまった」、という後ろ向きな気持ちの方が強くて、何をやっても楽しくありませんでした。
ところが、お便りを頂いたこのUさんが、STの読者でいらしただけでなく、留学先でブラウン先生に会った、とおっしゃるのです。そしてブラウン先生に、今の私のことを話してくださったとのこと! すぐブラウン先生からメールが届き、昔とちっとも変わらない先生の優しさが、ひしひしと伝わってきました。
人間、余裕がなく自己嫌悪に苦しんでいるときは、なかなか前向きになれないものです。信じられないほどの親切心の前にも心を開くことも、立ち直ることもできない。でも時間がたつと、あの時、ブラウン先生に指導してもらったことが、どれほど今の自分を自分らしく育ててくれたかに痛いほど気付きます。そして、それを気付かせてくれたのも、また、読者Uさんのお便りであることに感謝の気持ちでいっぱいです。
つづく
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