ちまたで騒がれている「英語」という名の付く勉強法、指導法、そしてそれらを紹介した本は数知れず。しかし、どれもピンとくるものはなかった。そんな中、とうとうきたか!と思わせるニュースが飛び込んできた。
「算数を英語で」という教科書が2005年3月より発売されるというということと、同年4月に群馬県太田市において、小学校から高校まで一貫したイマージョン教育を行なう学校が開講するというニュースだ。まず、前者は従来の「英語を」学ぶ教科書ではなく、文字通り「英語で」学ぶ教科書というところがポイント。そして後者は、その「英語で」学ぶことを12年間実施しようという新しい試みだ。
さて、その後者で取り入れられる「イマージョン教育」とは、そもそもどんなものだろうか。この教育方法の語源「イマージョン」は、immersion(浸す)という英語からきている。目下英語教育はもとより、言語教育全般において注目を浴びており、現に2004年の日本語教育検定能力試験(日本語教師を目指す人が受ける試験)の試験問題でも取り上げられた。
「イマージョン教育」は、もとはカナダのケベック州モントリオールで始まった。モントリオールといえば、フランス語と英語が飛ぶ交うバイリンガル都市であるが、実際のところすべての人がバイリンガルであるわけではない。フランス語しかできない人でも、英語しかできない人でも、ともに生きていくことはできる(街の区域によって、英語圏とフランス語圏とに分かれている)。だが、両方出来れば将来の可能性は広がるのだ。
モントリオールでは、特にフランスの植民地だったということもあり、社会の上層部では、英語話者にとってもフランス語を話すことが求められる機会が多くなる。ゆえに、英語話者であっても、フランス語をしゃべれた方が社会で有利になるのだ。
この点を痛感したのは、英語圏の小学校に子供を通わせている父兄たちだった。「イマージョン教育」は彼らによって提唱され、1965年から実施されるようになったのだ。この教育方針が絶大な効果を生み、やがてアメリカでも行われるようになる。そして1992年、日本にも上陸。静岡県沼津市にある加藤学園で始まった。(※イマージョン教育では、母国語は母国語で教えられ、そのほかの科目は母国語以外の言葉で教えられる。特に算数、理科、体育などは内容が具体的であるため、母国語以外の言葉であっても学びやすいといわれている)
そこで、実際にイマージョン教育を受けている小学生、リサちゃんに話を聞いてみた。リサちゃんは、以前「世界の英語教室・日本編」にも登場してくれた10歳の女の子。幼稚園のころまでは、英語とは無縁だった彼女だが、小学校に入ってから、国語以外はずっと「英語で」算数や理科を勉強している。リサちゃんとのやり取りから、学校側もイマージョン教育ならではの工夫を凝らしていることがうかがえた。
質問:初めて英語で算数を勉強したとき、むずかしくなかった?だって英語も分からなかったんでしょ?
リサ:全然。足し算とかだったから、むずかしいことなかったよ。
質問:でも、お友達同士分からないとき、授業中日本語でしゃべったりしなかったの?
リサ:しなかったよ。しゃっべたら罰金払わなきゃならないの。学校で出してるお札があってね、先生の顔のイラストが印刷されてるんだ。
宿題忘れたり日本語話したら1ドル罰金。でも頑張ったらご褒美でお金がもらえるの。お金は学校のバザーのときにも使えるよ。
イマージョン教育で興味深いのは、結果として母国語の学力は「通常の教育を受けている子供よりも上」になることが多いということだ。また、大人が心配している「母国語と外国語がごちゃまぜになる」ということはなく、「違う文化」を受け入れる器が自然にできあがっていくことも、この教育の特徴といえる。
イマージョン教育を通して異文化と接する機会を持つ子供たちは、逆に自分の文化やアイデンティティーを小さいころから意識するため、それらを理解できるようになる。それは、決して親や教師が「教えて」覚えてもらうことではなく、子供自身が感覚でつかんでいくものではないだろうか。異文化を目の前にしたとき、子供たちには大人以上に、臨機応変に対応する力を備えているのだ。
子供たちは、そんな感覚でつかめる何かを持っているのではないだろうか。これまでのさまざまな調査・研究で分かってきたことは、イマージョン教育とその「何か」がうまくかみ合っているということだ。
利点の多いイマージョン教育だが、目下の課題は、この教育を実践できる教師が限られているということ、そしてそれを実施するにあたって費用がかかるということだ。
プールサイドや海辺で泳ぎ方を習っただけで、実際にすぐ泳げるようになる子供はいるだろうか?子供は実際にプールや海に飛び込んでみて、初めて泳ぎ方を身に付けられるものではないだろうか。
外国語・異文化教育が身近になった現代社会で、イマージョン教育を受ける子供たち。まさに、異文化という「プール」や「海」に入り、自分なりの「泳ぎ方」を身に付けている。プールサイドや海辺で水泳の練習をしていたのが従来の英語教育だとすれば、プールや海で水泳の練習をするのがイマージョン教育と言えるのではないだろうか。
子供が「泳ぎ」を身に付けるのに「プールサイドや海辺」で習うのか、それとも「プールや海」に飛び込むのか―それは、親や社会の選択にかかっている。個人的には、「プールや海に飛び込む」、つまりイマージョン教育によって、子供の成長をみてみたいものだ。