「移民の時代がやってくる!?〜そのときキッズはどうする?〜」
■メディアをにぎわす言葉「移民」
最近「移民」という言葉を新聞でよく目にするようになった。
例えば、今月(2008年5月)上旬、日本経済新聞に「自民 外国人定住へ基本法『移民庁』設置など検討」の記事が掲載された。
外国人研修・技能実習制度を見直すほか、少子高齢化を見据えて、海外からの人材確保を強化し、来年の次期通常国会への提出・成立を目指すというのだ。
また3月の産経新聞の石原慎太郎都知事寄稿の「日本よ」では、「新しい移民法を」というタイトルでコラムが掲載された。
その中で石原氏は、「日本の人口の減少は大分以前から知れていたことなのに、現在この事態になっても移民政策について根本的な議論が見られぬというのはおかしい、というより政治家たちの時代認識の欠如、危機感の欠如というよりない」と言及している。
さらに1月の『週刊エコノミスト』では、「移民受け入れが日本経済を救う・労働開国」という題で作家の堺屋太一氏が「移民受け入れ論」を展開、東京入国管理局の元局長・坂中英徳氏も同じように、移民受け入れ論に積極的な姿勢を見せている。
(「元」局長とはいえ、入国管理局といえば外国人を取り締まるところであり
、本来逆の立場をとるであろうはずの人が、である。)
■期待できることとは?
現在の日本には「外国人研修生」という名のもとに、いってみれば「現代の奴隷」のような扱いを受けて、ただ働き同然の扱いをされている人達がいる。
法的には法務省の管轄下にある。そして2年目からは晴れて「技能実習生」となるのだが、
その時点で厚生労働省の管轄下に置かれることになる。そのため、現在議論されている労働基準法違反や人権侵害などの問題は
、両省でたらい回しにされ、まるで双方が責任のなすりあいをしているような形となっているのだ。政府もここにきて
、この問題の存在に気付いたのだろう。これでは現状は悪化する一方であり、何の得にもならない。
よって、まずは一元化する必要があるだろう、と。
■移民推進における盲点
加えて、減り続ける人口、少子高齢化を考えると、移民を推進すべきだという考えにたどり着くのは、自然な流れにも思える
。逆に、今まで「移民庁」がなかったのが不思議なくらいだ。
なぜなら、これは人権問題にも直結することだからだ。
今後、もし本格的に移民を受け入れ始めたら、やはり考えなければならない問題の1つに「ことば(日本語習得)」
の問題、そして(彼らの)子供たちの教育問題が挙げられると思う。ここ数年増え続けている在日外国人の子供たちの実に4割が学校
へ行っていないともいわれている。
そんな子供たちをケアするために、NPO団体の活動は地域でみられるが、国が本腰を入れて取り組んでいる様子は、
残念ながらない。民間に丸投げの状態だ。
これでは、ろくな教育を受けられない外国人児童が増え、ほかの子供たちとの格差は広がる一方だろう。
「移民庁」はこのような現状も改善できるきっかけを作るのではないだろうか。移民というと労働問題ばかりが重要視され、
とかく盲点となりがちな「子どもの教育問題」だが、それを政府が今後どのように対応していくのか、注目したいと思う。
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編集後記☆★☆
実は、ここ数年「世界の小学生英語」を取材していて、他国と日本の大きな違いの一つに「移民の少なさ」を感じていました。
日本は、受け入れも送り出しも極端に少ないのです。 もしかしたら、それには私たちが無意識に使っている「動く」という言葉の持つ概念
も関係しているのではないでしょうか。
最近読んだ『アラビアンノート』(片倉もとこ著、ちくま学芸文庫刊)にはこんなくだりがあります。
「日本人は、定住すること、定着することに重きを置く。『私も、やっとおちつきました』とにこにこして言う。
それが結婚であれ、就職であれ、マイホームであれ、よいことにちがいない。おちついたという報告には『おめでとう』
と応えることがほとんどだ。おちつくことは、我々にとって、無意識のうちに目的化されてしまっている。」
つまり、「動く=移動すること=移民」について、日本人はもともと否定的な考えがあるのではないか、というのです。
う〜ん、奥が深い! このあたりの文化的な事情・背景について、これからもっともっと探っていけたらと思います。
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