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スポーツ名勝負・名場面

By Hiroshi Ikezawa / 生沢 浩

スポーツ記者、生沢浩の13年に及ぶスポーツ記者生活の中で、忘れることのできない名勝負・名場面をピックアップして、それを英文記事でどのように伝えたのかを紹介しています。
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Hiroshi Ikezawa / 生沢 浩

Vol. 6 : 第1位 「日の丸飛行隊の金メダル」 

スポーツ記者はオリンピック取材を4回経験して初めて一人前となる、と言われます。世界中が熱狂するオリンピックはそれだけ重要で、記者を大きく成長させる総合スポーツイベントなのです。

 オリンピックにはいろんな側面があります。競技そのものの素晴しさ、選手の運動能力のすごさ、そして、その影に隠された感動的なドラマなど記者が伝えたいことは枚挙にいとまがありません。オリンピックにかける熱意はスポーツ選手も記者も変わらない、と僕は信じています。

 僕自身は1998年の長野オリンピックを取材した経験があります。やはり、僕が実際に取材したスポーツで最も心に残る名場面といえばこのオリンピックに尽きます。今回はこのオリンピックからの名場面をご紹介します。

 ところで、僕にとっては今のところこれが最初で最後のオリンピック取材。冒頭の言葉が正しければ、僕はまだまだヒヨっ子なのでしょう。スーパーボウルは11回も取材しているんだけどなぁ・・・・・

第1位 「日の丸飛行隊の金メダル」 
1998年2月17日 長野五輪にて
僕が取材活動の中で最も感動したシーンは98年の長野オリンピックで、日本のスキージャンプ陣が団体の金メダルを獲得したときのことだ。今でも長野オリンピックのことを考えると、吹雪の中の白馬のスキージャンプ台の姿が頭に浮かぶ。札幌オリンピック以来24年ぶりに日本で開催された冬季五輪で、最も期待された日本スキージャンプ陣が逆転で勝利をもぎ取った。おそらく僕がライター業から足を洗った(言葉が悪い?)あと、自慢げに語るのはこの歴史に残るシーンを取材したということだろう。

 ドラマのおぜん立ては4年前のリレハンメル大会に用意されていた。92年のアルベールビル大会以来、日本スキー界は黄金期を迎えていた。ジャンプでは原田雅彦が世界の強豪に混じって活躍し、複合では荻原健司が世界チャンピオンに君臨した。まさに70年代に世界を席巻した「日の丸飛行隊」の再来だった。

 ところが、リレハンメル大会で日本はほぼ手中にしていた金メダルを逸し、日本国民の期待を大きく裏切ってしまったのだ(これに関する記事は「 記者の素顔」で紹介しています)。このとき、あと105メートル飛べば金メダルという場面で、アンカーの原田がまさかのミスジャンプ。彼の普段の実力からは考えられない97.5 メートルに終わり、銀メダルに甘んじたのである。

 それから4年が過ぎた。舞台を日本に変え、国民はいやでも日本ジャンプ陣に期待する。しかし、その一方でリレハンメルの悪夢も忘れてはいなかった。リレハンメル以降、原田は持ち前の明るいキャラクターで日本中の人気者になっていた。テレビ CMやバラエティ番組にすら登場し、トレードマークの人懐っこい笑顔をいたるところで振りまいた。まるで、リレハンメルのことなど忘れたかのように…。

 団体ジャンプが行なわれる数日前、日本は個人戦で船木和喜がラージヒルの金メダル、原田が銅メダルを獲得して意気が上がっていた。そして、リレハンメルに置き忘れた物、すなわち団体金メダルに日本中が期待をかけていた。

 競技当日、白馬は雪が降り、風が舞う悪天候だった。雪は時折吹雪となり、危険回避のために競技が中断されたほどだ。

 そんな中で日本はドイツとデッドヒートを演じた。それぞれのジャンパーが競技を終えるたびに入れ替わる順位。日本は好調を維持し、金メダルを狙える位置につけていた。

 原田の1度目のジャンプのときだ。ラージヒルで銅メダルを獲得した原田がジャンプ台に姿を現すと、33,000人を超える観衆から大歓声が上がった。しかし、原田のジャンプは失速した。記録は79.5メートル。リレハンメルでの悪夢がよみがえる。ジャンプ直前に悪天候のため、中断された影響もあったのだろうか。直前まで吹いていた向かい風が急に止み、原田のジャンプを助けてくれなかったのも不運だった。

 「またか」そんな思いがため息となって伝わった。全員が1度目のジャンプを終えた時点で日本は4位。トップのドイツとは13.6点差だった。原田は2度目のジャンプで137メートルを飛び、汚名返上をする。しかし、1度目の失敗ジャンプが響き、アンカーの船木が2度目のジャンプ、すなわちジャンプ団体の最後の飛行に臨んだとき、トップのドイツとは90.4 ポイント差。ミスは許されない状況だ。会場に緊張ムードが漂う。金メダルの望みは船木にかけられた。

 ジャンプ台の最も高い位置から静かに滑り出す船木。実際には歓声で聞こえるはずはないのだが、静かな滑走の音が聞こえたような気がした。そして、ジャンプ台の曲線を最大限に利用して、船木は飛んだ。

 「リレハンメルでアンカーを勤めた原田さんの感じたプレッシャーが初めて理解できた」と後に述べた船木は、この日の最長不倒距離、125メートルを記録した。距離は十分。あとは評価点だ。全ての目が掲示板に注がれる。なかなか表示が出ない。船木は遠くに飛びすぎたために姿勢がやや崩れ、飛行姿勢の美しさを評価するポイントに減点が予想された。90.4点を超えるのか、否か。

 ずいぶんと長い時間が過ぎたような気がした。そして、ついに電光掲示板に表示が現れた。126点!順位表の一番上の位置にはJapanの文字が。ついに日本は金メダルを奪還したのだった。

 船木に走り寄る日本ジャンプ陣。船木はスキーを置く間もなくチームメートに押し倒される。そして、あの有名な原田の「やったぁ〜。やったぁ〜」のインタビューが生まれたのである。

 この直後の原田は興奮と感泣でコメントらしいコメントを残すことができなかった。そう、彼はリレハンメルのことなど忘れていなかった。ようやく4年もの歳月を経て、彼は両肩に重くのしかかった重荷を下ろすことが許されたのだ。

 そんな原田を見ていて思い出したことがあった。数日前に原田が個人競技で銅メダルを取った日のことだ。彼の奥さんが報道陣の前でポツリと漏らした。「この銅メダルで(リレハンメルの失敗を)許してはもらえないでしょうか」。原田とその家族にとって長い4年が終わった。

(編集部注:この記事は2010年3月18日に加筆・修正いたしました。ご指摘いただきありがとうございました。)

★長野オリンピックでの苦労話は「記者の素顔」で紹介しているので、そちらを参照してください。その中でも述べているが、この大会で日本は5つの金メダルを獲得した。僕はそのうち4つを実際に取材したが、ひとつだけ逃したのがフリースタイルスキーの里谷多英選手の金メダルだ。正直言って彼女はノーマークだった。同じ日に、やはり金メダルの期待がかかる複合個人戦があったため、僕はそちらの取材に行っていた。荻原は残念ながらメダルに届かなかったが、その代わり里谷がやってくれた。このメダルを生で見ていればパーフェクトだったのだが、そうはうまくいかないのがスポーツの世界だ。

 さて、いろんな名場面を紹介してきたこのコラムも今回が最後です。紹介し切れなかったスポーツや忘れられない場面はまだまだたくさんありますが、ひとまずこれでおしまい。スポーツはいろんな感動を与えてくれます。これを読んでくださった方々がよりスポーツに興味を持ち、今度は自分が名場面の目撃者となってくれることを望んで止みません。

*次回は番外編です。

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