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2013年5月10日号掲載の記事(ST編集部訳) print 印刷用に全て表示
Essay

Being late (p. 9)

遅刻

私は「15時2分に駅で会おう」と、京都にいる私に会いに来ていたシンガポール人の友人に言った。

彼女は笑った。「15時2分? 3時とか、3時15分って言えばいいじゃない!」

私はばつが悪い思いで笑った。何時に会えばいいか、最終的な時間を正確に細かく決めることに慣れてきていたのだ。それに、日本ではたいてい電車が定刻通りに来るのと同じように、日本人の友人はめったに遅れることがない。

シンガポールでは、気楽な約束であれば、5分や15分も遅れるのはよくあることだ。また、シンガポールでは普段、時間を15分単位で切り捨てる。もし(シンガポールで)私が「15時2分に会おう」のように、一見でたらめな時間を言ったとしたら、友人は私が冗談を言っていると思っただろう。

この違いが生まれる理由の一つに、電車(それほどではないにせよ、バスも)が、日本では定刻通りに運行しているということが挙げられると思う。乗る電車が15時2分に到着予定なら、その電車が遅れるだろうと思う理由はほとんどなく、集合時間を細かく決めるのは自然なことだ。

シンガポールでは、マス・ラピッド・トランジット(大型の迅速な公共交通機関)と呼ばれている地下鉄は、時刻表を公開していない。運行頻度は、路線と時間帯による。2分間隔のときもあれば、悲しいかな、8分以上空くときもある。バスは電車よりもさらに予測できない。30分間1本もバスがこなかった後で、同じルートを廻る3台のバスが同時にやってくるときもある。

何時に電車やバスが来るか予測しにくいので―身体を押し込める1台がやってくるまでに超満員のバスが何台通り過ぎるかもわからないので、シンガポールの人たちは、友人が時間通りに現れるとは思わないものだ。

かつて日本人の友人に、シンガポールの公共交通機関の残念な状態に不平をこぼしたことがある。彼は日本に戻ってくる前にシンガポールに何年か住んだことがあり、彼ならわかってくれると思った。驚いたことに、彼はくすくす笑ってこう言った。「シンガポールの好きなところはまさにそこなんだ!」

彼は、シンガポールでは電車やバスがいつも時間通りに来るとは限らないからこそ、日本人よりもシンガポール人がのんびりしているのだと感じていた。

「いつでも時間通りにしないといけないと感じるのはとてもストレスがたまるよ」と彼は言った。

しかしまた、「時間通り」の定義も文化によって異なる。日本では、時間通りとは、予定の時刻の5分前に到着することを意味しているのかもしれない。シンガポールでは、10分以上遅れていない限り、「時間通り」ということになる。アメリカ人の友人の一人によると、パーティでの「時間通り」とは、少なくとも10分は遅れて行くことだという。

私がジュニア・カレッジ(日本の高校に相当)に通っていたころ、ある先生の授業に私たちが遅れて行ったとき、その先生は私たちのクラスで「輪ゴムのように伸びる時間」のことを注意した。今なら、彼女の表現がどれだけぴったりかがわかる。

時間とは、私たちがさまざまな長さに伸ばす輪ゴムである。問題は、どれだけぴんと張っていてほしいか、ということだ。

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