「ST」は紙名を新たに「Alpha」として2018年6月29日より新創刊しました。 Alpha以降の全訳はこちら
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2013年10月18日号掲載の記事(ST編集部訳) print 印刷用に全て表示
Essay

Those who can (p. 9)

デキる人は…

しばらく前に、教師同士で送別ランチ会に行った。しらふでもすでに陽気な仲間たちで、ワインが流れ込み出すと、みんなどんどん賑やかに愉快になっていった。

一人を除いて全員が退出した後で、隣のテーブルで妻と食事をしていた初老の紳士が、一人残っていた教師に近づいた。彼女は私たちグループの騒々しさを詫びたが、怒られたのではなく、その紳士は意外なことを言った。彼はどうしてそんなに多様で魅力的な女性グループが集まっていたのかと、自身の好奇心を示した。私たちが明らかに楽しそうだったので、彼は私たちのことをもっと知りたかったのだ。「私たちは教師なんです」と同僚が言った。

何という教師たち―人々―なのだろう。テーブルにいたみんなを見て、私たちの仕事がどれだけ疲れるものであるかにもかかわらず、どうやって私たちはここでお互いのエネルギーをぶつけ合っていたのだろうと思ったのを覚えている。今年一緒に働いた教師たちはワクワクするほど賢くて機知に富み、温かくて、生気に満ちていた。恐らく、教師であるということに何か輝かせるものがあるのだろう。そして恐らく、この輝きは特に何杯か飲んだ後で発揮されるのだろう。

何年も教えることを避けてきた。一部には、「日本で英語を教える外国人」の一人として型にはめて見られたくなかったからというのがある。教えるのが素晴らしい友人を立派だと思っていたし、特に、自分の学校を経営してうまくいっている人たちのことも立派だと思っていた。一方で、教えることの評判を落とす人たちもいた。「デキる奴はやる、デキない奴は教える」というさげすんだ言い方が私の頭から何年も離れなかった。私はデキる奴になりたかった。

日本で、教える仕事ではない仕事をどうにか見つけることができた。それらの仕事を非常に楽しんでいたし、一緒に働いていた人たちのことも大好きだった。でも最終的に、私は自分の仕事が他人の人生に良い影響を与えているのを実感する必要があった。それに、自分をイキイキさせるのは何かと長く懸命に考える時、思い付くのはインターンで教える仕事をしていたときのことだった。生徒たちが何かを覚えるのに賢いやり方を学んだ時に笑っている生徒や、私が下手な教え方をしてしまったせいで、生徒がすっかりぽかんとした表情になったのを思い出す。教室の中でも外でも教えることのせいで気が抜けなかった。

さっきの言い回しとは逆に、教師はたくさんのことができるし、たくさんのことをするし、それにしなければならない。教師として、計画を立てることをやめることはない。新聞を読んでいて、生徒が難しさを抱えていたり、それによって刺激を受けたりする何かを突然見つけるかもしれない。教師になると勤務時間外の時間はない―同僚の一人は前に、道で生徒に止められて、彫ったばかりのタトゥーのつづりをチェックしてくれと頼まれたことがある。

物事が一周して元に戻るなんて面白い。今月の初めに、私は仕事で日本に戻った。今回は教師としてだ。そして今回は、教師になれたということに今まで以上に誇りを感じている。日本での次なる冒険を楽しみにしている。前回よりも賑やかに、もっと愉快になりますように。

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