12月23日、日本の過去の世界フィギュアスケートのチャンピオンでオリンピックのメダリストでもある浅田真央選手と高橋大輔選手は、週末の全日本選手権でのがっかりさせるようなパフォーマンスにも関わらず、ソチ五輪への出場権を獲得した。
東京の北に位置する埼玉県のスーパーアリーナで行なわれたフリーで浅田選手は、トレードマークと言えるトリプルアクセルの試みを2度失敗し、鈴木明子選手、村上佳菜子選手に続く3位に終わった。
その後12月23日に、日本スケート連盟は、ソチ五輪でのフィギュアスケート競技で日本人女子に割り当てられた3人の出場権を、この3人組(浅田、鈴木、村上の3選手のこと)に与えることを決めた。
五輪の男子銅メダルと2010年の世界タイトルを獲得した高橋選手(27)は12月22日、男子競技で総合5位に終わったが、同連盟は日本男子に割り当てられた3つの出場権のうちの一つを高橋選手に与えた。男子グランプリファイナルの優勝者、羽生結弦選手(19)は、全日本男子タイトルを維持し、今シーズンのグランプリの競技で2度勝利した町田樹選手が2位、小塚崇彦選手が3位となった。
残り2人の男子出場権は、羽生選手と町田選手に与えられ、小塚選手は、ソチ行きのチームの補欠選手となった。
高橋選手は、シーズン開幕のグランプリ、スケートアメリカで4位に終わったが、NHK杯を獲得した一方で、小塚選手は今シーズンの努力が報われずトロフィーを獲得できなかった。
会話能力を持った初のロボット宇宙飛行士が宇宙飛行士の若田光一さんと国際宇宙ステーションで雑談した。
キロボの開発者によって12月20日に配信された映像は、キロボが宇宙ステーションで初のミッションを行ない、キロボの会話機能を試す実験の一環として日本語で若田さんと話す様子を示した。
若田さんはキロボに会えてうれしいと話し、そのロボットの話し相手(キロボのこと)に無重力状態にいるのはどんな感じかと尋ねた。「もう慣れたよ、全然問題ないよ」とキロボは答えた。
そのロボットは質問を処理し、持っている語彙の中から答えを組み立てる語を選ぶようにプログラムされている。
「人間とロボットの間で関係ができはじめる最初の段階を観察することができた。そのことは我々にとって最大の成功だったと思う」と、キロボの製作者高橋智隆さんは述べた。
アメリカのバラク・オバマ大統領は、2014年は不況と鈍い経済回復の長い時代の後に続く「アメリカにとっての躍進の年となりうる」と述べた。
オバマ大統領は12月20日、就任して5年を締めくくって、記者団に話した。当日この後に、家族でハワイでの休暇に出発することになっていた。
オバマ大統領の支持率は41%とその年(2013年)のうちに14ポイント下がった。その数値は、就任以来最低となった11月の支持率と一致している。
今年が大統領就任期間中で最悪の年だったかと尋ねられ、オバマ大統領は笑って「私の考え方はそうではありません」と述べた。
一年の振り返りの中で、オバマ大統領は翌年中にアフガニスタンからアメリカの軍隊をついに撤退させることに触れた。
政府は12月23日、南スーダンで活動している国連平和維持軍隊に弾薬を提供することを決め、日本が外国や国連部隊にそうした提供を行なう道を初めて開いた。
日本は無料で1万発の銃弾を提供する。その建国間もないアフリカの国(南スーダンのこと)で国連の平和維持活動に参加している韓国軍に提供される可能性が最も高いと見られる。
その決定は、国家安全保障会議の緊急4者会合と、9人の大臣の会合で決定したと当局は発表した。
2011年の福島第1原発事故に起因する除染作業は当初予定されていたよりも最大3年間長くかかるだろうと、政府当局は12月22日に発表した。
政府は、2014年度ではなく2017年度に除染作業完了に努める。事故を起こした原発周辺は現在放射能の濃度によって3区に分けられているが、再度区分けを行なう。
福島県内で除染中の11市町村のうち、田村市でしか除染作業が完了していない。
12月23日の朝、東京都文京区の校庭に男性が侵入して自身に火を付けて重度の火傷を負い、警察がその男性の息子と見ている少年も火傷をした。
二人は病院に搬送され、男性は意識不明となっていると警察は発表した。
事件があったとき、汐見小学校の外では少年たちが野球をしていた。伝えられるところによると、男性は(被害にあった)その少年を(野球をしていた)グループの中から連れ出し、灯油と見られる可燃性の液体を自分と少年にかけたという。
みんなの党前幹事長の江田憲司氏は12月18日、与党自民党に対抗する野党勢力となることを願い、離党した14人とともに新党を結成した。
新党の名は「結いの党」と命名し、仮の英語名称をUnity Partyとした。
「現在の野党では自民党を止めることができない」と江田氏は記者会見で述べた。
「我々は、官僚制の政治を廃止し、既得権益と戦い、権力の集中を打開して、日本を変える」と語った。
国営通信社と治安当局者によると、12月24日未明、強力な爆発がエジプトの町マンスーラにある警察本部を襲い、少なくとも11人が死亡、その他多数が負傷した。
中東通信社によると、この爆発はカイロ北部に位置するナイル川デルタ地帯の町にあるダカリヤ県の治安当局本部で午前1時10分に発生し、5階建ての建物の一部を崩壊させたという。
この襲撃事件は、アルカイダに感化された組織が警察や軍部に対し、退去するか、あるいはその戦闘員の手による死に直面するよう求めた1日後に発生した。
ロシアのパンクバンド、プッシー・ライオットの投獄されていたメンバー2人が、12月23日に釈放された。2人はこれをロシア政府のPR活動だと呼んだ。
ソチでの冬期オリンピックを前にして、ロシアの人権の歴史への批判を和らげるためのロシア政府の試みだと概してみなされているこの動きにおいて、マリア・アリョーヒナさんとナジェージダ・トロコンニコワさんが恩赦を与えられた。
この女性たちは、宗教的な憎しみを動機としたフーリガン行為で有罪となり、2012年3月にモスクワの主要な聖堂でパフォーマンスを行なったことで禁錮2年の刑を宣告されていた。
12月19日の夜、ロンドンの劇場の天井が一部崩壊し、しっくいとほこりの塊が満員の観客に降り注いだ。75人以上が負傷し、そのうち7人は重症だったと、当局が発表した。
アポロシアターにおけるこの崩落は、クリスマスの休暇シーズンのまっただ中の午後8時15分頃、「The Curious Incident of the Dog in the Night-time(夜中に犬に起きた奇妙な出来事)」の上演中に発生した。
ギリシャとローマの音楽と芸術の神にちなんで名付けられたアポロシアターは、1901年に建造され、775席を備えている。
ソ連のための武器の設計者としての仕事が世界で最も普及している武器の名において不滅になっているミハイル・カラシニコフ氏が、94歳の年齢で死亡した。
AK-47 ?? 「カラシニコフの自動小銃」(という意味で)、(数字は)製造開始の年 ?? は、ゲリラやテロリスト、多くの軍隊の兵士によって愛用されている。推計1億個の銃が世界中に普及している。
カラシニコフ氏は12月23日、彼が暮らしていたウドムルト共和国の首都イジェフスクの病院で死亡したと、同共和国大統領の報道官が述べた。
12月19日、ネルソン・マンデラ元大統領にささげられた看板のインド人所有者は、反アパルトヘイトのヒーロー(マンデラ元大統領のこと)の写真ではなく俳優のモーガン・フリーマンさんの写真が使われていたことがわかり、(恥ずかしさで)赤面した。
この看板は、12月5日に亡くなったマンデラ元大統領へのインドや世界中での記念碑のひとつとして南部コインバートルの道路脇に建てられた。
しかしこの看板で、人権運動の象徴的な人々であるマーティン・ルーサー・キング牧師、マザー・テレサ、マハトマ・ガンジーの小さな写真の上に大々的に現れたのは、フリーマンさんの顔だった。
「私たちは彼らが生きた時代の一部となれたことを、誇りとすべきだ」と、看板の上部にタミル語の哀悼の言葉が書かれている。
南アフリカの元指導者への尊敬の印としてこの看板を自費で設置した衣料品商人のチャンドラシェカールさんは、これはデザイナーによる失敗だと述べた。
「私たちは、これをマンデラ元大統領の正しい写真と入れ替える」と、この商人は州都チェンナイから電話でAFPに伝え、この失敗がどのようにして生じたかはわからないと付け加えた。
モーガン・フリーマンさんは、2009年の映画『インビクタス/負けざる者たち』でマンデラ元大統領役を演じた。
オックスフォード大学のことは誰もが知っている! 世界で最も古い大学の1つだ。世界の大学のトップ5の中に挙げられている。38のカレッジに所属する2万人の学生が通っている。卒業生の中には26人の首相と、47人のノーベル賞受賞者がいる。有名な同窓生にはスティーヴン・ホーキング、ビル・クリントン、マーガレット・サッチャーなどがいる。そこで過ごしたあまり有名でない一人は若いカナダ人だった―私のこと!
それは1970年代のこと。私はイギリスでバックパッカーをしていた。オックスフォードに着いたばかりで町中へと歩いているところだった。途中で地元の若者と会話をすることになった。「どこに泊まっているんだい?」と彼は聞いた。私は「分からない」と答えた。「私は大学の職員だ」と彼は言った。「私のカレッジにジョンという学生がいる。彼なら君を助けられるかもしれない」。
私たちはすぐハートフォード・カレッジに着いた。ハートフォード・カレッジは起源が13世紀に遡る中世の学校だ。ちょうどそのとき、ジョンが出てきた。「ここにいるカナダ人にさっき会ったんだ。世界中を旅していて泊まる場所を必要としている」と男性はジョンに言った。「なんという偶然だ!」とジョンは叫んだ。「クラスメートが体調を崩して家に帰ったんだ。彼の部屋が空いている。そこに泊まったらいいよ!」と言う。もちろん、これはカレッジの規則には反していた。しかし、どうして私が拒否できただろうか? 結局5週間も泊めてもらった!
ジョンは私をクラスメートのヒュー、デイヴィッド、ティムに紹介してくれた。私たちはすぐにいい友だちになった。彼らは大学を案内してくれて、自転車を私に見つけてくれて、カレッジの食堂で食券もとってくれた。食事はとても形式ばっていた。教授たちは食堂の一番奥にある教授陣用の席に座り、学生は下の木のテーブルについていた。皆、大学の式服を着ていた。ハリーポッターのワンシーンのようだった!
ジョンと友人たちは古典専攻でラテン語、ギリシャ語、古代史を学んでいた。私は日中、彼らの講義に出て、夜はみんなでパブへ行って、ビールを飲み、ダーツをして、ソクラテスについて話し合った。夜遅くには石畳の通りをぶらぶら歩き、カレッジの壁をよじ登って、門限を越えてから部屋にこっそり戻った。
オックスフォードでの5週間はあっという間に過ぎた。どの日も冒険でいっぱいだった。クリケットの試合を見て、演劇を見に行って、川でパント船に乗り、最大のライバル・ケンブリッジとの毎年恒例のボートレースでオックスフォードを応援した。滞在が終わるころには、パブは全部知っていたし、カレッジをすべて探検し、道で外国人旅行者に呼び止められたときには道順も簡単に教えられるようになっていた。
ロンドンに向けて出発する直前に、イギリス人の友人が全学生と全教授で撮るカレッジ公式の記念写真に私をこっそり入れてくれた。ハートフォードカレッジのロビーに今でも飾られている!
オックスフォードに住んで、イギリスの大学生の生活を体験できたことは光栄だった。今、誰かを感心させたいときは決まって「オックスフォードにいたときのことを思い出す…」と話している。