Smartは、耳をそばだてて聞いて、誰かがニュージーランド出身がどうかを判断するのにぴったりの言葉だ。もしニュージーランド出身の人なら、rの音は巻き舌で発音されない。母音も他のどの音とも違うと思う。試してみてください。あなたのすぐ近くのニュージーランド人(いや、オーストラリア人ではだめだ)を見つけて、Smartを発音してみてもらってください。
ニュージーランド人のSmartの発音は、最近私の後で発音を繰り返させたときに、私の注意を引いた。ニュージーランド人のアクセントを完全に失ったわけではないと分かってうれしかったが、ほかの人にどんな風に聞こえているかを耳にしてみるとやはりやや耳障りなものだった。その後、私の生徒はsmartのさまざまな異なる意味について質問をした。彼に違いを説明し始めると、そこにはsmartという言葉の世界があることに気がついた。
“You're looking smart”(かっこよく見えるね)は、誰かがおしゃれな格好をしているときに言う言葉。しかし、犯罪率の高い地域に住んでいたら、おそらく、おしゃれな服を着て出かけるのはstreet-smart(厳しい都会生活に慣れた)ではないかもしれない。それに、スマートフォンをそのへんで見せびらかすのもスマートではないかもしれない。
効率的で創造的に、あるいは知的なやり方で何かをすることはスマートだと考えられ得る。例えば、私たちはスマートカード(ICカードのこと)、スマートフォンを持っているし、あまりポジティブではないが、Smart bomb(誘導爆弾)もある。実際よりも知的に見えるように物事を言うのが好きな人たちもいる。こんなふうにSmart-mouth(生意気な口を聞く人)であること、あるいはSmart-alec(うぬぼれ屋)であることは、とてもイラつくことが多いものだ。それに、危険な地区では、殺される可能性もある。
殺されはしないにしても苦痛を与えられるものといえば、玉ねぎを切る行為だ。もちろん、玉ねぎを切るにはもっとスマートなやり方があるに違いない。強く鋭い目の痛みを避ける提案はたくさんあるが、全て試してみても効果がなく、私の目は結局いつもsmarting(ひりひりする)になる。おそらく、smart pace(てきぱきと)で玉ねぎを切ったら、その痛みはもっと速く過ぎ去るのかもしれない。
そこで、“Smart”という言葉を使うには実際には結局、少しsmart(賢く)でなければならないことが分かる。称えたり、ほめたり、戒めたり、助言したりするのにも使える。賢い、速い、イライラする、痛みを引き起こす、という意味を表すこともできる。Smartという言葉そのものがかなりsmartだとも言える―効率的なのだ。コンパクトでたくさんの意味が詰まっている。しかし、スマートフォンのように、頼り過ぎると、逆に自分がバカになる。Smartという言葉を聞いたり使いたくなったときはいつでも、ほかに替わりになるものがないかどうか考えてみよう。誰かが言ったら、その人がニュージーランド人かどうかチェックしてみよう。アクセントをバカにしてはいけない。smart-arse(思い上がった人)が好きな人はいないから。