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2014年5月16日号掲載の記事(ST編集部訳) print 印刷用に全て表示
Essay

Selfie? Sure, but not all the time (p. 9)

自分撮り、たまにはいいけど毎回は…

告白する、私はときどき自分撮りを楽しんでいる。

オックスフォード辞典が選んだ2013年の言葉に選ばれた“Selfie”(自分撮り)とは、主にスマートフォンなどで撮られた自分撮りの写真のことを指す。フェイスブックやインスタグラムなどのソーシャルメディアアプリなどにアップロードされることもある。今年のオスカー賞授賞式では、人気の司会者エレン・デジェネレスがメリル・ストリープ、ジェニファー・ロペス、ブラッド・ピットなどの男優・女優と一緒に撮ったセルフィーをツイッターに投稿した。その写真はたちまちネット上に広まった。

このときに起こった世間での話題の広がりは、どれだけの人がセルフィーになじみがあるかを示している。セルフィーは、特に若い人たちの間で、ますます一般的になっている。若者の携帯電話でフォトギャラリーを開いてみれば、たぶん頻繁にセルフィーが撮られていることが分かるだろう。

行き過ぎると、セルフィーは依存症になる可能性もある。イギリスの若者ダニー・バウマンは、携帯電話でセルフィーを撮るのにどうやら1日10時間使い、最大で200枚撮っていたようだ。完璧なセルフィーを撮ることで頭がいっぱいになるあまり、学校を中退し、両親が止めようとすると攻撃的になった。

"幸い、このケースは普通のことというよりはむしろまれなケースだ。しかし、精神医療の専門家のなかには、身体

醜形障害(BDD)などの精神疾患とセルフィーとの関連性について推測している人もいる。BDD患者は身体のイメージと自分の外見で欠点と思われるところを過剰に気にしてしまう。"

中毒や依存についてこうしてあれこれ語られていることが、たぶん、私がセルフィーを撮ることについて少し恥ずかしく感じる理由だろう。私が育ったときにはスマートフォンやデジタルカメラはなかったので、セルフィーを撮り始めたのは大学時代になってやっとだ。友人と私がセルフィーに頼るのは、自分たちの写真を撮ってくれる人が誰もいないときだけだ。私のパーソナルスペース(親しくない人に侵入されると不快に感じる物理的距離のこと)に入られてうれしい人としかセルフィーを撮らないので、親しさの表れでもある。

しかしながら、セルフィーと撮れば撮るほど、ほかのタイプの写真に価値が分かる。例えば、スナップ写真は人が一番自然体でいる状態を捉えるのに素晴らしい。セルフィーほどは自分を実物よりよく見せようとはしないかもしれないが、飾りのない瞬間を収めることに何か本質的に愛らしいものがある。

ポーズをとる写真さえ、誰かにあなたの写真を撮ってもらう価値がある。京都の東福寺で、ある見事なもみじの木のそばに陣取り、秋の紅葉を楽しんでいる人たちに写真を撮りましょうかと申し出ていた男性のことを覚えている。マドリードで過ごした休暇のことも思い出す。アメリカの旅行客が私に家族の写真を撮ってくれるように頼んだ。私たちはその後、短いおしゃべりを楽しんだ。写真と撮られる人と撮る人との間でのやりとりは、写真と思い出の一部になる。

私は自分撮りを続けるか? もちろん。でも、ほかのタイプの写真を撮ることも楽しむつもりだ。思い出の美しいタペストリーを織り上げるにはきっと多様なものが必要だから。

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