ウクライナの新大統領は6月7日、分離独立を求める暴力的な反乱に支配されている同国東部との対話を求めるとともに、武装グループが武器を捨てることを求めたが、「ギャングで殺人者」だと呼んでいる反政府勢力と話し合いをするつもりはないと述べた。
ペトロ・ポロシェンコ大統領が議会で就任の宣言を行なった後の就任演説には、東部における対立をすぐに解決する兆しはほとんど見られなかった。
同大統領はまた、ロシアのこの春におけるクリミア併合に対して強固な方針を取り、黒海の半島(クリミアのこと)は「かつても、今も、今後もウクライナのものだ」と主張した。
ポロシェンコ大統領は「血塗られた手の持ち主ではない(人を殺していない)」反乱勢力に対して恩赦を与えた。
しかし、「私はそれを信じない」と、ルハンシクの反乱勢力のリーダー、ヴァレリ・ボロトフ氏は述べた。この新しい大統領は、「君たちに平和をもたらす」と約束したが、ウクライナ軍が反乱勢力に対する攻撃を縮小するかどうかを示さなかった。
菓子業界の大物として稼いだ大金のために「チョコレート・キング」としばしば呼ばれる48歳のポロシェンコ大統領は、5月25日に当選した。同大統領は、数カ月に及ぶ街頭デモを受けてウクライナから逃亡したヴィクトル・ヤヌコビッチ元大統領の後で暫定の大統領を務めたオレクサンドル・トゥルチノフ氏の後任となる。
ある日本人男性は、映画『アナと雪の女王』を彼が気に入らなかったため、妻が彼と離婚すると脅していると、ネット上で嘆いた。
オンラインフォーラム『既婚者の墓場』で、その31歳のビジネスマンは5月18日に読者に対し、彼の29歳の妻がその大ヒット映画をとても気に入って、映画館に何度も通っていると告げた。彼は自分でもその映画を見に行ったが、つまらないと思った。夫はついに「あの映画のどこがそんなにいいんだい?」と漏らした。妻は「何がこの映画を素晴らしいものにしているか理解できないのなら、あなたは人間としてどこかおかしいんだわ」と言い返した。そして彼女は出ていき、実家に帰って、離婚すると脅した。
男性の読者のほとんどが彼の状況に同情した。彼の最初の投稿から数日後、「もう彼女との結婚生活は想像できない」と述べた。
北海道・上士幌町の職員は、「ふるさと納税」制度を使って政府の財源を増やす寄付者(納税者)に、熱気球体験を無料で提供することを開始した。
「私たちは地元ならではのサービスを寄付者に提供することによって感謝を表したい」と町職員は述べた。
寄付者は(気球に)乗せてもらう場所を選んで熱気球体験を予約することができるようになる。その体験ができるのは最低50万円か100万円を寄付した人のみ有効だ。熱気球は4人を乗せることができ、30メートルの高さを2時間飛行する。
ふるさと納税制度は2008年に、地方に寄付を集め、観光を振興する目的で始まった。その制度では、納税者が国内で自分が選んだ地域に2000円以上を寄付した場合、所得税と住民税が控除される。
昭仁天皇のいとこで皇位継承順位6番目の桂宮さまが6月8日の10:55に東京の病院で亡くなったと、宮内庁が同日に発表した。66歳だった。
桂宮さまはその日の早くに東京大学付属病院に運び込まれたが、急性心不全で亡くなったと宮内庁は述べた。桂宮さまは結婚しておらず、子どもがいないため、家系が途絶えることとなった。
安倍晋三首相は声明で、ご逝去に「悲しんでいる」と述べた。
6月10日に札幌市と旭川市の青果市場で今年初めて開かれたスイカの競りで、北海道産の黒い皮のスイカが35万円の落札価格で売れた。
当麻町特産のでんすけすいか約240玉のうちの一玉についた最高額は昨年の最高額を5万円上回った。
競り落としたのは47歳の青果仲卸業荻野敏さんで、「農家の方の努力に応援の気持ちを与えたくて」そのスイカを買ったと話した。
世界最高齢の男性がニューヨークで6月8日に111歳で亡くなり、同じく111歳の日本人男性が世界最高齢となった。
退職した化学者で超心理学者のアレクサンダー・イミックさんの逝去は6月9日に報道された。イミックさんは1903年2月4日にポーランドで生まれ、1951年にアメリカに移住した。
埼玉在住の百井盛さんはイミックさんより1日遅く生まれた。ギネス世界記録に認定されれば、福島県南相馬生まれの人(百井さんのこと)が世界最高齢の男性となる。
検察側は6月9日、東京地方裁判所に対し、元オウム真理教信者で逃亡していた菊地直子被告に、1995年の東京都庁の庁舎への小包爆弾攻撃事件で菊池被告が果たした役割について、懲役7年の禁錮刑を下すよう求めた。検察側は、菊池被告は「できるだけ重い刑罰」に値すると述べた。
菊池被告は、爆発物の運び屋として行動し、その攻撃には必要不可欠だったと、検察側は述べた。
菊池被告(42)は、当時の東京都知事の青島幸男氏の秘書に重傷を負わせたその攻撃の共謀罪に問われている。
軍の元トップのアブデルファタフ・シシ氏は6月8日にカイロで開かれた式典でエジプト大統領としての宣誓をした。昨年イスラム教指導者モハメッド・モルシ氏をシシ氏が失脚させて以来、反対意見への弾圧を懸念している欧米の同盟国からは控えめな出席だった。
関係者らによればシシ氏は97%の得票率だったという5月の選挙は3年間の激変に続くものだった。
式典で、シシ氏は「混沌とはかけ離れた責任ある枠組みの中で」自由の開拓を求めたが、民主主義には触れなかった。
ぎくしゃくした「外交ダンス」(なかなか進まない外交上の駆け引きのこと)において距離を保ってきた後、アメリカのバラク・オバマ大統領はロシアのウラジーミル・プーチン大統領と6月6日に対面し、ウクライナについて短い対話をした。今年初めに起きたウクライナ危機後初めて直接顔を合わせた。
ノルマンディ上陸作戦開始日の式典での昼食時にもたれたおよそ15分の会話はカジュアルなものだったと、ホワイトハウスは述べた。
その週の初め、G7の富める国々はわざとプーチン大統領抜きでブリュッセルで会合していた。
全仏オープンで、ラファエル・ナダル選手を超える者はいない。
「赤土の王者」(ナダル選手のこと)は6月8日、そのことを再び証明した。ノバク・ジョコビッチ選手を3-6、7-5、6-2、6-4で破り、ロランド・ギャロスで5年連続9度目のタイトル獲得を果たした。
ナダル選手はそのクレーコートでのリーグで(全仏オープンのこと)66勝1敗で、その大会で35試合を連勝している。これで同じ4大大会のタイトルを9回勝ち取った最初の男にもなった。
「私にとって、ここロランド・ギャロスでプレーするのはいつまでも忘れがたいことです」とナダル選手はコートで語った。
イスラム過激派組織は6月10日、イラク第2の都市モスルの大部分を制圧し、治安部隊が崩壊して持ち場を放棄する中、県知事の庁舎を占拠し、警察署や軍事基地や空港を襲撃した。武装集団が地域を巡回して黒い旗を振り、その間、住民らは避難した。
この襲撃は、分離したアルカイダ組織「イラク・シリアのイスラム国家(Islamic State of Iraq and Syria=ISIS)」による反乱の広がりに直面する中、ヌーリー・アル・マーリキー首相にとって大きな敗北となった。
ジムに通う何百万人もの人々と同じく、米国のバラク・オバマ大統領もウェイトを持ち上げるときに顔をしかめる。何百万人と同じく、同大統領はランジやステップ(筋トレの種類)をする。何百万人と異なるのは、密かにビデオに撮影され、それがインターネット上で急速に広まることだ。
ポーランドのマリオット・ホテル・ワルシャワのジムでオバマ大統領が運動している1分25秒の映像が6月4日に現れ、同大統領が完全なトレーニングモードでいる珍しい様子を見ることができた。ホテルの宿泊客によって作られたこの映像は、オバマ大統領が黒いジム用のウェアを着てイヤホンを着用し、ウェイトを選んで決まったメニューに取り組む様子を映している。オバマ大統領は、欧州3ヵ国の周遊の最初の6月3日、このホテルに滞在した。
その職員が大統領に常に同行しているシークレットサービスは、このビデオの正当性を確認した。宿泊客は、撮影を控えるように求められていなかった。
シークレットサービスは、ワルシャワのホテルでのこの出来事を保安上の侵害とはみなさなかった。エドウィン・ドノバン報道官は、オバマ大統領の公式スケジュールに入っていなかったジムの訪問は、レストランへのびっくり訪問で他の食事客がぽかんとして写真を撮るのと変わらないと述べた。
日本とは違い、シンガポールは優れたサービスがある国としては知られていない。それでも最近、今まで受けた中で最高のサービスのいくつかを受けられる機会に恵まれた。
友人と地元の点心のお店でブランチをとっていた。しゃれたレストランではなかった。私たちにとって一番の選択というわけでもなかった。そこへ行ったのは、行きたかったレストランが予約でいっぱいだったからだった。
私たちはそのレストランに、隣接したパン屋から入り、応対してくれる人を待っていた。みんな忙しそうに見えた。私たちはやっと通りかかったウェイトレスの目に止まった。
私は「4人がけの席をお願いします」と、彼女の質問を先取りして言った。
「ついてきてください」と彼女は足早に私たちをテーブルに連れて行った。席に着くと、彼女は「実はお客様がお入りになったのは裏口です。次からは正面入口をお使いください」と言った。レストランの反対側の端をジェスチャーで指した。
社交辞令はなかったが、それでも失礼な感じがしなかった。シンガポール人特有の効率の良さで、彼女は私たちを席まで案内し、適格なアドバイスをくれた。
ホール係のスタッフは主に40-50代の女性で構成されていた。そのレストランはすぐにいっぱいになり、スタッフは気を抜く暇もなかったが、頻繁にやってきて私たちのカップに暖かい烏龍茶のお代りを注いでくれた。何人かは広東語を話し、それが温かさと親しみやすさを感じさせた。広東語は年配世代の多くの人の母語で、伝統あるレストランの多くによく見られる中国語の方言だった。
私たちの中の一人の誕生日を祝うために、別の店からケーキを買ってあった。レストランのスタッフは快くケーキを冷蔵庫に入れておいてくれて、追加の皿とナイフやフォークを持ってきてくれさえした。集合写真をお願いすると、喜んで聞き入れてくれた。写真を撮ってくれたウェイトレスはもっとおいしそうに見えるようにケーキの位置を調整までしてくれた。
別のウェイトレスはずっと残っていた残り物に気がついた。彼女はその料理を自ら持ち帰り用のバッグに入れてくれて、持ち帰り用のバッグだけでなく入れたてのお茶を持って戻ってきた。
私たちのお腹はすぐにいっぱいになったが、あまりにも話すことがあり過ぎて、帰るのがためらわれた。親切で母親のようなウェイトレスが、テーブルを長く占拠していることへの私たちの申し訳ない気持ちに気がついた。彼女は近づいて笑顔で言った。「いいんですよ。好きなだけいておしゃべりしてください。もっとお茶を飲みますか?気をつけてね。熱いですよ!」
私たちは、シンガポールで一番人通りの多いショッピング街にある騒がしいショッピングモールのレストランではなくて、友だちの家にいるような気分だった。
これはよいサービスだろうか? ミシュランガイドの審査者は足りないと思うかもしれない。私たちにとっては、それでも、余分なサービスを省いた心からのまっすぐな本物のもてなしだった。美と同じで、よいサービスというのも見る人が見れば分かるものなのだ。