私は日本語の学習をカナダの大学で始めた。どれだけ多くの言語上の難しさが私を待ち伏せして攻撃しようとしていたか、ほとんど分かっていなかった。
クラスメートと私が直面した最初の困難は、日本語の会話表現を覚えることだった。それらはみな、すごく長かった!“Hi”には「こんにちは」を覚えなければならず、“Thanks!”は「ありがとうございました」、“Take care!”には「お気をつけてください」だった。音節がとても多い!
これらのフレーズを覚える助けにするために私たちは、元の日本語と似た音になる英語の文を作った。日本語の数字「1、2(いち、に)」を覚えるのに、私たちは英語の“itchy knee”(かゆい膝)というフレーズを使った。「いただきます」(さぁ食べよう!)を覚えるのには、“Eat a duck and a mouse”を使った。かなり近い音になった!「どういたしまして」を覚えるために、“Don't touch my moustache”(私の口髭にさわらないで)を使った。ほとんど同じ音だ!
日本語を話すのは難しかった。しかし、書くのはもっと難しかった。日本語コースの始めの方は、ひらがなを学ぶのに費やした。一字一字の線と曲線を覚えるのに延々と時間がかかった。ようやくひらがなをマスターしたら、先生が「よくできました!次に覚える別の文字があります―カタカナです」と言った。「別の文字?」と私たちはうめき声を上げた。「1つで十分じゃないの?」
2週間後、私たちはカタカナをマスターして、やっとリラックスできると思った。「まだです!」と先生が言った。「さあ、漢字を覚えなければなりません。2000字あります」。2000字!信じられなかった。先生は私たちを拷問にかけようとしているのか?
日本語をカナダで1年間学んだ後、神戸へ行って自分の新しい言語スキルを試してみる準備ができた。私は真面目な学生で、きちんとした日本語を一生懸命学んだ。礼儀正しい「です・ます」形しか教わっていなかったが、大丈夫だろうと自信を持っていた。
関西への新参者として、私はたくさん質問した。質問の多くに「しらん」という言葉を回答としてもらい続けた。「しらんという言葉がこんなに頻繁に使われるなら、きっと重要な言葉に違いない」と私は思った。しかし、辞書で「しらん」という言葉を引いても載っていなかった。おかしい!
神戸で新任の英語教師になり、私はたくさんうわさを聞いた。そのうわさが本当か確かめたとき、日本人の生徒たちは「チャオ、チャオ」と叫んだ。「どうして彼らはイタリア語を話すのだろう?」と自分に問いかけた。とても奇妙なことばかりだった!
やっと、これらの2つの謎を解いてくれる日本人の友だちを見つけた。「ここの人たちが話す話し言葉の日本語はカナダで学んだ教科書の日本語とは違うよ」と彼は説明してくれた。「『しらん』は『知りません』の短縮形で、『私は知りません』という意味。『チャオ(ちゃう)』は『違います』の短縮形で、『それは違っています』という意味になるよ」。
神戸に1年間住んで、私はやっと自分の周りの人たちが何を言っているのかが分かり始めた。しかしそれでも、辞書に載っている言葉だけを使うべきだ、日本語を話すときはイタリア語を使うのは避けるべきだと強く思ったものだった!