きっとあなたはこんな人に会ったことがあるのでは:友達になれそうだと思うが、キープする価値のある思う人ではないと後で分かる人。あるいは、友達のふりをしているが、本当はあなたの人生を悪化させる人。どんな人が良い友達で、どんな人はそうではないかを教えてくれるリストがあったら良くないだろうか?
幸いにも、そういうリストはある。残念ながら、このリストは言語学習でしか役に立たない。「偽の友達」は多くの言語で見られるからだ。偽の友達は、2つの言語の間で、見た目や音が似ているが意味が異なる組み合わせのこと。私の地元の廃棄物とリサイクル品を置く場所を例にとってみよう。どのゴミ箱(英語でbin)に「bin」(英語では「ゴミ箱」という意味だが、ここでは「ビン」の意味)を入れたらよいのか? なぜ危険物は袋に「Seal」(英語では標章だがここでは「シール」の意味)を貼る必要があるのか? 「Seal」(標章)はゴミ袋ではなくて、企業や大学の手紙など公的な文書でしか見ないものだと思うのだが…。
こうした混乱は、他の言語からの借用語が進化して、日本語では独自の意味を持つようになるために起こることが多い。私の生徒の多くは、ある語がカタカナで書かれているだけで、適切な英語として適用すると考えるという間違いをしている。これは、日本語を勉強する英語話者が、カタカナで英語を発音すればいつも日本人の聞き手にとって意味のある何かに翻訳されると思う場合にも類似する問題だ。それはまるで、フランス語なまりであなたの言語を話せば、フランス語で理解されると期待するようなものだ。
そう、リサイクルに出すのはbin(ゴミ箱)ではなくて、glass bottle(ガラスビン)やjar(広口ビン)と言う。それに、危険物に貼らないといけないのは、seal(標章)ではなくて、sticker(ステッカー、シール)だ。あなたが住んでいるのはたぶんapartment(アパート)の一室で、mansion(大邸宅)ではないだろう。もしあなたのアパートが最近改修や改築をされていたら、それはrenovation(リフォーム、改築)をしたのであって、reform(改革)ではない。
これらすべてを見て、少しmoody(不機嫌)になってしまっただろうか? これはあなたにとって良いことだろうか? それとも悪いことだろうか? 大阪にいる同僚がかつて、あるレストランがmoody(同僚はムーディという意味で使っているが、英語では不機嫌なという意味)なことで有名だから、そこに行こうと言ったことがある。怒りっぽい、不親切なスタッフに応対されることは一番望まないことだったので、私は少し困惑した。しかし、いくつか質問をしてみたら、日本語では「moody」は特有の雰囲気があり、それはたいていいい雰囲気である場所のことを意味することがあると知った。
新しい友人は、彼らがあなたの時間とエネルギーを費やす価値があるかどうかを見極めるのにしばらくかかるだろう。しかし、英語を勉強するときには、偽の友達を除外しておくことは、ずっと効率的なプロセスだ。カタカナ語の友達を恐れないで。英語話者がいるときにそれらを使ってみれば、すぐにその友達(カタカナ語のこと)がキープしておく価値があるかどうかがわかるだろう。そうしたら、あなたのノート(notebook)の情報を更新しよう―「メモ」(note)ではなくて。