“Watch vigor of us”(私たちの活力を見よ)と、Tシャツに太い字で書かれていた。私は麺をすする途中で食べるのをやめて、どういう意味か理解しようとした。私がいたラーメン屋は有名なチェーン店の一部で、スタッフは全員、同じ不可解な英文が載った同じTシャツを着ている。
普通の日本人には意味がわかるのだろうかと思った。“vigor”(活力)が日本でよく理解された英単語なのか定かでなかった。家に帰る途中、「テナント募集」(Tenant Wanted:賃借人募集)と書かれた不動産の看板の前を自転車で通った。その下には英語で“We will sincerely wait for moving in”(入居するのを心から待っている)と書かれていた。これらの例は、英語が読み手の対象となる人々に役立つ何かを伝えるというよりも飾りとして使われているように見える多くの事例の一部でしかない。
あるイメージを伝えるために言語や書記体系を使うことは珍しくないことだが、なぜそれを使うことを選ぶ人がいるのか疑問に思わずにはいられない。フランス語が書かれたセーターを着ていると、フランス人のようにファッショナブルでスタイリッシュになったように人から思われるかもしれない。スタイリッシュなフランス人が、フランス語が書かれた服を本当に着ているかどうかはもちろんまた別の問題だ。
ファッションはスタイルがすべてなので、季節のトレンド次第で言語が現れては消えるのも不思議ではない。しかし、日本のファッション以外の産業は、英語の使い方にもっと知識があって然るべきだ。日本の企業のなかには、顧客のほとんどが日本人でも、自社のウェブサイトの英語版を持つことにこだわるところもある。実際には、日本人以外の人がウェブサイトにアクセスした場合、その人は日本語が十分に分からずにサイト内を見て回ったり、理解することができる可能性が高い。「だってかっこ良くて現代的じゃないか!」と言う人もいるが、結局のところ、かけたすべての余分な時間とお金はその価値があるだろうか?
欧米人の多くにとって、漢字はクールで異国的に見える。それで、身体に漢字のタトゥーをするのが好きな人もいる。スパイス・ガールズの1人は「ガールパワー」を次の段階に展開させたいと思い、「女」と「力」の漢字のタトゥーを身体に施した。ラーメン屋のTシャツや不動産屋の看板に対する私の反応のように、漢字を使う国の人々にとっては、その反応は「かっこいい!」ではなくて、「言いたいことは分かるような気がするけど…」だろう。
ラーメン屋は、食事がおいしかったので、その変な英語を見てもまた来店する気をなくさせてはいない。不動産屋の看板は、もしその物件に興味があったとしたら、その会社に英語が理解できて話せることを期待して近づくかもしれない。だから、次に外国語を看板やウェブサイト、身体などに使うことを考えたら、訴える相手を考えよう―そのかっこよさは本当にあなたに必要なものだろうか?