私の結婚式ではなかったのだが、自分のことのように緊張した。
親しい友人が京都市で結婚した。彼女は親切に私を招待してくれて、私はわくわくしつつ、緊張していた。それまでに日本の結婚式に出たことはなく、失礼なことを知らずにやってしまわないか心配した。
別の日本人の友人が助けに来てくれた。彼女は私にさまざまな迷信(「黒いタイツは履かないように」など)を教えてくれて、銀行で新札を用意するところから封筒に丁寧に自分の名前を書いて特別な入れ物に入れておくところまで、ご祝儀の用意の仕方を教えてくれた。
私が慣れていたものとはとても異なっていた。シンガポールでも、結婚式にご祝儀を用意するが、これに関するステップは最小限だ。新しそうなお札を用意するが、わざわざ確実に新札にすることはほとんどない。お金はポチ袋に似ている特別な封筒に入れる。封筒に封をしてから、裏に名前とお祝いのメッセージを書く。日本のご祝儀の準備よりも明らかに簡素なプロセスだ。
結婚式は異なる文化の窓だ。私は結婚式を通じて日本の文化についてもっと知る機会を得られたことをありがたく思った。これまでに出席した中で最も美しい結婚式の一つでもあった。その夫婦は自分たちらしい結婚式にするために大変な努力をしたのだった。
まず、神父も牧師もいなかった。そうではなくて、新郎新婦はゲスト全員に立会人になってもらいたかったために、カードに署名してくれるようゲストに呼び掛けた。
2人は特別な儀式も用意した。12本のバラが入った花瓶がチャペルの後ろに置かれ、夫婦は2人の結婚に望む異なることを教えてくれた12人のゲストの名前を交代で呼んだ。新郎は彼に愛の意味を教えてくれた自分の母親を最初に呼んだ。彼の母親がバラを花瓶から取り、祭壇への通路を歩いていく間、息子(新郎のこと)は感謝のスピーチをした。最後に母親は息子(新郎のこと)にバラを手渡した。この儀式の最後に、花婿はバラの花束を妻に贈り、彼女は1本を花婿のシャツのポケットに挿した。
このシンプルで素敵な儀式は象徴性に富み、心のこもったスピーチにかなりの涙が流れた。その後、新郎新婦が両親に感謝のスピーチをして、さらに多くの涙が流れた。
結婚式が終わる頃には、空は暗くなっていた。私は、寒空へ踏み出し、花嫁からの手書きの手紙をコートのポケットにしまい込んだ。その日は典型的な京都の冬の天候だったが、愛と感謝のこの特別な日に温かさを感じていた。