海外の出版物に英語のコラムを書いているシンガポール人として、英語とマレー語、中国語の混合と独特の構文を特徴とする英語の方言であるシングリッシュは、当然の話題だろう。
たぶん、あからさま過ぎる。それで、この話題を避けてきた。
神聖なオックスフォード英語辞典がシングリッシュの単語kiasuを先月の"word of the day"(今日の単語)に取り上げたので、今になってようやくこれを取り上げることにした。オックスフォード英語辞典によると、この単語は「私利私欲に支配されている」人物のことを指し、「主として何かのチャンスを逃すのではないかという恐れから生じる自己中心的で貪欲な態度としてとして現れる」という。
例えば、「彼女はとてもkiasuで、クリアランスセールに午前6時から並び始めた!」などと言える。
Kiasuはオックスフォード英語辞典に載った初めてのシングリッシュではない。2000年3月に、初のオンライン版のオックスフォード英語辞典にはlahとsinsehという語が載っていた。後者はマレーシア、インドネシア、シンガポールにいる中国の伝統的な医師、つまり漢方医のことだ。
lahという言葉は、説明するのがもっと難しい。多くの外国人は、ただlahを文の最後につければ、シングリッシュになると思うようだ。しかし、この不変化詞の使い方はそれよりもはるかに複雑だ。lahは話者の気分または態度を伝えるのに用いられるが、厳格なルールがあるわけではなく、ほとんど文脈による。例えば、非難する感じを強調するために「そんなに怠けるなラー」などと言うことができるが、「私はとても怠け者なんだラー」と言うと奇妙になる。
lahの使い方は、lorやlehのような類似して見える不変化詞のせいでさらに複雑になる。シンガポールでは、本当ははいと言いたくないという意味を伝えるために「オーケー、ロー」と言う。「オーケー、レー」と言うときは、こちらは本当にオーケーだと強調したいのに、相手が懐疑的だからといこともあり得る。
シングリッシュに慣れない限り、このルールは曖昧で理解しにくく思えるかもしれない。おそらく、シンガポール政府がシングリッシュを標的に「良い英語を話そう運動」をしているのはこのためかもしれない。この運動は2000年に立ち上げられた。当局は、シンガポール人がシングリッシュしか使わなければ、他の人々と効果的に意志の疎通ができなくなると恐れている。
しかし、シンガポール人の多くにとって、シングリッシュは身近であり、母国を思い出させる。独立してたった50年で、その国民が元来は何十もの異なる場所からやってきている都市国家では、われわれを感情の面でつなぐ物事がほとんどない。シングリッシュはその1つなのだ。
重要なのはコード・スイッチング(異なる言語間での切り替え)だと私は思う。われわれは、シングリッシュを使うべきときと、「標準的な」英語を使うべきときをわきまえなければならない。シンガポール人はこれができるだろうか? いつもシングリッシュで私たちが言っているように、答えは「もちろんできるラー」だ!