最近、ある動画が私のソーシャルメディアのフィードで広まっている。その動画では、若い女性が道路を渡るときに、うつむいて携帯電話を見ている。青信号が点滅している。車が彼女の方に向かって突進してくるが、彼女は車を見ていない。車は彼女をはねる。
インターネット上のコメントは、たいてい、同情が感じられなかった。その女性に優先通行権があったのだが、彼女は道路を横断するときに携帯電話を見ているべきではなかったと考える人がほとんどだ。多くの人が、彼らの見たことがある、(動画と)同じように携帯電話に夢中で他人に迷惑をかけたり、もっと悪い場合には、自分自身を危険にさらしたりしている人々の話を共有した。
告白するが、私もときどきその罪を犯している。特に返信するのに急いでいるとき、私はよく歩きながらメッセージを打つ。メッセージを打ち出すのに集中していると、自分の周りで起こっていることを無視してしまう。
ほかの人に迷惑だろうと分かってはいても、たぶん、私たちはみんなこういうことをしたことがあるだろう。スマートフォンを片手に、メッセージを打ち、ゲームをし、ソーシャルメディアのフィードに目を通し、動画を見て、写真を撮り、写真を見る…。挙げればキリがない。
シンガポールの大学生グループがこの傾向を変えたいと考えた。彼らは「顔を上げて、注意して」と呼ばれるキャンペーンを開始した。人々に携帯電話の画面から目を離してまわりで何が起こっているかにもっと注意を払うように促したいと思っている。
彼らのウェブサイトはいくつかの提案をしている。「この考えを覚えておいて。道の向こう側にたどり着いてから、フェイスブックの更新を続けよう」。「その歌を一旦止めて。ビルボードのトップ50だろうと、まだ誰も聞いたことのないインディーズバンドの曲だろうと、あなたが事故に遭ったら振り払うことはできないと私たちが言ったのを信じて」。
私が気に入ったのは、すぐにメッセージに返信する必要がないことについて書かれたものだ。「そのまま進んで、友だちをもう少し長くイラ立たせておこう。本当の友だちなら、あなたが安全に道路を渡る間、もう少し待つことができるから」。
即座に満足感が得られるこの時代、待つことは時間の無駄のように思えるかもしれない。しかし、同時に複数のタスクを処理することによって時間を節約しようとすると、結局は、周りの人たちを無視することになったり、美しいものの良さを認める機会を無駄にすることになる。
ある友人が私に、最近彼女が目撃した心の痛む光景について話してくれた。レストランで、母親に何かを伝えようとしている幼児を彼女は目にしたが、母親は娘が言っていることに注意を向けることはおろか、携帯電話から目を離さすことができなかった。
また別の友人が、帰宅途中に虹を見たと教えてくれた。「でも、私の周りにいた人たちは誰も虹を見ていなかったの。みんな携帯電話を見ていたから!」
携帯電話に見入って費やす時間に、何を見逃しているだろうか? 顔を上げて、注意し始めない限り、知ることはないかもしれない。