あなたがこれまでに、何かを自ら求めて並んだ最長時間はどのくらいだろうか?
私は2時間ーまさに京都らしい夏の蒸し暑さの中で—、中村藤吉本店の冷たい抹茶とほうじ茶スイーツのために並んだのを覚えている。その週末は観光客が大勢訪れていて、私たちは外で待たなければならなかった。店員さんが並んでいる人たちみんなが使えるようにうちわを配っていたが、私たちは暑さで参っていてあおぐことすらできなかった。
ようやく座れたとき、アイスクリームとプルプルのゼリーの一口一口が限りない喜びそのものだった。これほどまでに長く待っていなかったら、こんなにおいしかっただろうか? 私には定かでない。また並ぶだろうか? たぶんもう並ばないだろう。
日本人の友人にこの話をすると、半分驚き、半分面白がっていた。一人は「有名店で何かを食べるためだけにそんなに長く並ぶのは日本人だけだと思っていたよ!」と言った。
今度は私が驚く番だった。並ぶことは、シンガポールも国民的道楽として知られている。
シンガポール人はさまざまなことのために並ぶ。最も有名な列の一つは、2000年にハローキティとディアダニエルのフィギュアを求めてできた列だ。とあるファーストフード店で食事セットを買った場合にのみ買える6組のフィギュアは、さまざまな文化の結婚式の服装をしていた。週ごとに新しいペアがリリースされ、リリース日には早いと日の出と共に人の群れができていた。前日の夜から並び始める人さえいた。
シンガポール人が並ぶのはほかに、特定の店の流行りの食べ物から、ナショナル・デーのケーブルカーの無料乗車、コンサートのチケット、限定の衣類のコレクションにわたる。
時々、何の列か分からないとしても、列に加わることもある。屋台市場では、例えば、長い列のできた屋台には、その屋台が提供する食べ物を以前に食べたことがないかもしれない客でさえも引き付けられる。シンガポール人に典型的な論理的根拠とは? それは、そんなに長い列ができているなら、その店の食べ物は本当においしくて並ぶ価値があるに違いない!という考え方だ。
少しばかげているように思えるかもしれないし、たぶん少しばかげている。いくつかのレストランで長蛇の列に遭遇したとき、困惑しているように見える外国人旅行客を私はどれだけ見たことか。シンガポール人もまたそれを知っていて、よく自分たちの並ぶことへの情熱をからかったりする。
反面、おそらく、本当に欲しいものを求めて並び、やっと手に入れるときには、ある種の幸福感があるのだろう。それに、並ぶことは市民社会のしるしでもある。列を目にするとき、私たちはルールに従った行動の仕方を知る。つまり、列と待っている全ての人を尊重するということだ。その列の先にあるものが本当に欲しかったら、その列に入って、並んでいる間楽しもうとしてみよう!