「あなたたちは何も知らない!」と、トレーナーが大声で言った。「あなたたちが知っているのはあいさつの仕方だけなのだから、最大限いいあいさつをしなさい!」。これは、10年ほど前に、私が新入社員のトレーニングコースに参加したときに言われたことだ。日本の企業で働き始めたばかりで、それは厳しい新人研修の初日のことだった。
私たちのトレーナーは、好印象を与えるために、職場で出会った人には―知らない人であっても―愛想よくあいさつをすることが重要であることをすぐに指摘した。そのトレーナーが、新入社員になって1ヵ月以降もあいさつを続けることの重要性を強調しなかったことは残念だ。他人へのあいさつについて再教育のコースを経験豊富な社員や管理職の上部にいる人々に受けさせるのもいい考えだと思う。日本の異なる職場環境で働いてみて、上位のスタッフはめったにほかの人にあいさつをしたり、(笑顔などで)気づいていると知らせることがないことに気がついた。
しかし、日本の会社文化はこういうものなのかもしれない。日本でランニングを始めて以来、日本のランニング文化に慣れてきた。あらゆる国のランニング文化を知っているわけではないが、ニュージーランド、オーストラリア、イギリスで走ったところでは、走って通り過ぎるときには人にあいさつをするのが暗黙の了解だ。特に、もし、相手があなたに向かってきているときや、同じランナーであればなおさらだ。日本では、日本語の「おはようございます」は息を切らしているときには長過ぎるので、胸の高さくらいに手のひらをちらっと見せることにした。
どのランナーが私のあいさつに気がついて返してくれるかを見るのはいつも面白い。しかし、無視されると傷つく。特に、冬の最中の朝5時30分に走るほど異常なことをしているのが2人しかいないようなときに、なぜランナーの中には相手を無視することを選ぶ人がいるのだろうかと不思議に思う。ランニングは確かにとりわけ社交的なスポーツではないし、特別に楽しいものでもないことは認めよう。でも、フレンドリーなちょっとした励ましはいつも歓迎されるものだ。
10月の初め、ある友人が大阪で走っていたときに予想外の励ましを経験した。タバコを吸う休憩をとっていた2人の紳士を走って通り過ぎるとき、彼らは突然予期せぬ歓声と喝采をした。友人はお返しに勝利のこぶしを突き上げた―ロッキーのようなスタイルで―、すると、足取りにはずみが戻ってきたのを感じた。
私は手でのあいさつを進化させることについて考えている。私と対向する全てのランナーに、走り去るときに最大で最高のハイタッチをしていってもらいたい。仕事でも人生でも、小さなあいさつが大きな効果をもたらすからだ。それにもし、必要なのが相手を励ますささやかな合図だけであるならば、みんなで試してみる時が来たのではないだろうか。