東京に戻ると、ごみを正しく分別しないことで滞在中に一度は母にしかられる。母の近隣では、リサイクル可能なごみが「プラスチック」、「紙」、「不燃物」などのような大まかな分類だけでなくて、ペットボトル、缶、新聞紙、ダンボール、牛乳パック、衣類などのようにもっと細かな分類に分かれているのは私にとって驚きであり、イラ立つことであった。「布切れを燃えるごみに入れたって大したことないじゃないの!」と母に大声を上げたが、母は律儀に燃えるごみの袋から布を取り出してほかの布と一緒に束にまとめる。彼女がかなり細かいのは、環境保護主義者だからではなくて、アパートでは「人から見られている」からだ。
ホノルルの家主さんは、ごみ箱に何を捨てているか誰が見ていようが気にしていないようだ。確かにごみ袋は、母のゴミ袋のように透明ではない。しかし、ホノルルでは、ごみの分別は母のところほど面倒でもない。色分けされた3つのごみ箱があるだけだ。青はガラスびん、プラスチック容器、新聞紙のようなリサイクル可能なものの混在、緑は庭ごみなどのコンポスト化が可能な有機ごみ、灰色はビニール袋やガラス食器、ダイレクトメールなどのような普通ごみだ。子どもでもごみをどのごみ箱に入れるかどうか間違いようがない。
しかし、8人が同じ屋根の下で毎日暮らしていることがある私の家では、灰色のごみ箱がすぐにいっぱいになる。そのため、翌週のゴミ収集を待つ不便を防ぐために、家主さんは普通ごみを青のリサイクルごみの箱に捨てることがある。
環境に優しくするためにベストは尽くしているが、私の行動は自分の目の前の関心事によって決まることも多い。私には台所とトイレを共同で使っている2人のルームメートがいて、そこでは、キッチンペーパーやゴミ袋、トイレットペーパーなどを共同で使っている。これら3つの生活用品にかかるお金を節約するために、私はリサイクルごみを、アルミ缶とペットボトル、ガラスびんをそれぞれ5セントに替えてくれる近所のリサイクルセンターに持っていく。
リサイクルセンターは美しく手入れの行き届いたワイキキのビーチや、エアコンの効いた繁華街のオフィスのようなところではない。誰でも、「お客さん」でさえ、アルミ、プラスチック、ガラスをうだるような暑さの太陽の下で手を汚して分別する。
従業員の1人がアルミを破砕機にかけ、別の従業員が顔の油と汗を拭いて私の換金額を計算しているのを見る。その空気は、汚れと汗と気の抜けたビールの混ざったようなにおいがするが、見た目は人の目を欺く。換金した5ドルを手に車で家まで帰るとき、リサイクルセンターで働いたら、大学の非常勤講師をするのと同じくらいの額のお金を稼げるのではないかとふと思った。