兄が来年結婚をする。家族にとっては大ごとだ。しかし、兄が結婚して入信する組織にとってはもっと大ごとだ:カトリック教会なのだ。
兄と結婚相手の女性は、彼女の生まれた国であるマルタ共和国で結婚する。マルタ共和国はカトリックが国教となっている。マルタ共和国はカトリック色が強く、住民の大多数がカトリックの教義を信じ、国の法律の多くがカトリックの影響を受けている。マルタ共和国はヨーロッパで最後に離婚を合法化した国で(2011年)、妊娠中絶は今でも違法だ。こうした考え方は、どちらもローマ・カトリック教会によれば、伝統的に「誤って」いるのだという。信者個人の考え方は全体的にさまざまであるが。
マルタ共和国で結婚するためには、兄と結婚相手はいくつもの複雑な手順を踏まなければならない。2人は結婚準備の教室に通わなければならず、聖書の中で結婚に関する節をいくつも覚えなければならず、洗礼や堅信礼の証明書を見せることを含めてカトリックのバックグラウンドを有していることを証明して見せなければならない。洗礼と堅信礼は教会に受け入れられるために、それぞれ子供の時と10代で受ける宗教的な儀式だ。
結婚の公式な証人として、私もカトリックのバックグラウンドを有しているかどうか調べられることになった。しかし、私は18歳以降自分が宗教的な人間だとは思っていない。兄と私はカトリックで育てられ、カトリックの学校へ通ったが、自分は世界に12億7000万人いる強力なカトリックのネットワークの一人では絶対にないと断言できる。
私は神を信じているという確信が持てないが、徹底した無神論者だと言うつもりもない―私のラベルは「不可知論者」だろう。オックスフォード英語辞典は、「不可知論者」を「神の存在または性質は何も分からない、もしくは、何も知ることができないと考えている人物」と定義している。私にとって、神の概念は常に理解があまりにも難しいため、1つのきちんとした物語や説明に落とし込むことはできない。
イギリスはキリスト教徒が主だが、国全体ではさまざまな宗教が信じられている。ロンドンの一部では、教会とモスクとシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)が互いに数平方キロメートル内にあるのを見つけることができる。このことは、イギリスの多様性を示す好例だが、社会的な対立の源にもなっている。
日本では、2つの主要な宗教がある:神道と仏教だ。外国人として、神道と仏教を見分けるのはとても難しい。神社と寺は私にはよく似て見える。しかし、この2つの宗教が調和して共存しているのが好きだ。日本人の多くが、自分は両方を信じていると見なしているようだが、誰かが自分のことをユダヤ教とイスラム教の両方の信者だと見なすことはかなり稀だろう。
私は兄の結婚式のために、カトリックの教義を信じているふりをするのか? 私を教会の正式なメンバーにするためにはすべての儀式を一度済ませていれば十分なのだろうか? きっとそれは、神のみぞ知る。