日本の陸上自衛隊の新部隊は11月21日、国連の平和維持活動に参加するため、日本の新しい安全保障法制に準じた新たな任務を負って、南スーダンの首都ジュバに到着した。
約130人の陸上自衛隊員が、総勢350人の部隊の第1団として、ジュバに到着した。およそ60人が警備にあたり、もう一つの部隊が(インフラの整備や各種施設のための敷地造成などの)施設活動を担当する。残りの隊員は12月中旬に南スーダンに到着する見込みだ。
現在南スーダンにいる日本の部隊は、道路やその他のインフラを建設する施設活動に従事している。しかし、新たに派遣される部隊には、2つの任務が追加されている。この任務は、厳しく制限されている自衛隊による武器の使用に関して、さらに多くの余地を与える日本の新安全保障法制に沿ったものだ。
政府は、陸上自衛隊が国連の職員など攻撃されている人たちを、緊急の要請に応じて救助に行くことができるとした。陸上自衛隊はまた、日本が他の国々と共同で使用している国連の平和維持キャンプを護衛するため、たとえ陸上自衛隊員が直接の攻撃対象になっていない場合でも、外国部隊に参加することもできる。今回派遣された部隊は、2012年以降、国連の任務に南スーダンで参加する11番目の日本の平和維持部隊となる。
北海道日本ハムファイターズの強打を誇るエースピッチャー大谷翔平選手は11月21日、今すぐにというわけではないが、「いつか」メジャーリーグでプレーしてみたいと語った。
「メジャーリーグへ行きたいという長年の願いは変わらない」とチームが関係するイベントで訪れていた幕別町で、この22歳の右投手(大谷選手のこと)は語った。「いつかそうしたいと思いながら今もプレーしている」。
大谷選手が高校生だった2012年、メジャーリーグでプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせたいと述べたが、メジャーリーグでプレーするという彼の夢に向かって導くことを申し出た日本ハムファイターズとの一連の交渉を経て、同球団に入団することで落ち着いた。
今シーズン、日本ハムファイターズが日本シリーズで10年ぶりに優勝する上で、マウンドでもプレートでも(投手と打者の両方で)貢献した。
『神奈川沖浪裏』という作品で最もよく知られている浮世絵画家の葛飾北斎(1760-1849年)をテーマにした美術館が11月22日、東京墨田区に開館した。葛飾北斎は墨田区で生まれ、90年の生涯のほとんどをここで過ごした。平日の開館となったが、すみだ北斎美術館に入館しようと朝早くから多くの人が並んだ。
この美術館を運営する墨田区役所は、この施設(すみだ北斎美術館のこと)はこの優れた芸術家(北斎のこと)を称えるだけでなく、観光客を引き寄せることを目的としていると述べた。
荒波を青と白で描いた『神奈川沖浪裏』は、北斎の木版画作品集『富嶽三十六景』に収められている。
展示を見ながら、来館者は北斎の生涯をたどることができると、同美術館は述べた。
美術館の建物は国際的に有名な建築家・妹島和世氏によって設計された。
福島県沖で発生したマグニチュード7.4の地震は、11月22日の朝、広い範囲の地域を揺らし、太平洋沿岸で津波警報を発令させた。この地震により、原発の使用済み核燃料プールの冷却装置が一時的に停止した。
この地震は、2011年3月11日に日本を襲ったマグニチュード9.0の東日本大震災の余震だと、気象庁は発表した。
菅義偉官房長官は、使用済み核燃料プールから放射能が漏れる「リスクはただちにはない」と述べた。
安倍晋三首相は11月21日、北方領土の統治権をめぐる争いにより数十年にわたって遅れている日露平和条約への署名は、彼自身とロシアのウラジーミル・プーチン大統領との間に「信頼関係」が必要とされると述べた。
その前日にプーチン大統領は、第2次世界大戦の終結時にソ連が日本から掌握したこれらの諸島は、ロシアの統治下にあるものだと繰り返していた。
「北方領土に関して我々の既存の主張に変更はない」とブエノスアイレスで安倍首相は述べた。
小池百合子東京都知事は11月18日、魚卸売市場の築地市場を、代替地である東京都江東区の豊洲に移転させるかどうかを、夏に判断すると発表した。長い間トラブル続きの、当初今年の11月7日に予定されていた移転を、さらに遅らせることとなった。
小池都知事は、豊洲の土壌汚染の不安から中断しているこの計画の全てを白紙にするという選択肢も除外はしなかった。
「現時点では、移転が確実なことだとは言えない」と小池都知事は報道陣に述べた。
22歳の日本人大学生が、コロンビアのメデジン市で11月19日、強盗とされる2人を追いかけている間に射殺されたと地元のメディアが報じた。
メディアによると、井崎亮さんはこの日に同市に到着していたという。2人の人物が井崎さんの携帯電話とタブレット端末を奪ったとされており、井崎さんが2人を追いかけていたときに2回打たれたと、メディアは報じた。
千葉県船橋市在住で、東京の一橋大学4年生の井崎さんは、国際協力について学ぶために世界を旅していた。
インドの救助隊員らは11月21日、大破した列車からさらに遺体を引き上げた後、脱線した車両の捜索を取りやめた。少なくとも146人の乗客がこの大惨事で亡くなった。
インド北部ウッタルプラデシュ州で発生した11月20日の脱線事故は、2010年以降インドで最も死者を出した列車事故だった。この事故により、国営鉄道の安全性の低さに関する懸念が新たになった。
数百万人のライフラインとなっているインドの鉄道網は、慢性的な投資不足に苦しんでおり、線路は老朽化し、全車両は古くなっている。
フランスのニコラ・サルコジ前大統領は11月20日、来年の大統領選挙における保守派の指名候補を選ぶ選挙で敗北した。
開票率80%の時点で、フランソワ・フィヨン元首相が44%、アラン・ジュペ元首相が28.1%、サルコジ前大統領は21.1%の得票となった。
フィヨン氏とジュペ氏は11月27日の決選投票へ進むこととなった。サルコジ氏は、支持者に対し、真剣に取り組んでいるフィヨン氏に投票して欲しいと訴えた。フィヨン氏は、彼が2007年に首相に任命した人物だ。
公式発表だ。アンディ・マレー選手は10年以上の間で、ノバク・ジョコビッチ選手、ロジャー選手、ラファエル・ナダル選手以外に初めて最終ランキング1位で1年の試合を終える選手となった。
マレー選手は、ランキング1位の座を確実にするためには、今期最後の試合に勝利する必要があった。そして、彼はそれを、割と簡単に実現した。
マレー選手は11月20日、ジョコビッチ選手を6-3、6-4で破り、ロンドンで開かれたATPファイナルの初タイトルを獲得した。また、これにより、来シーズンまでナンバー1に留まることも確実にした。
「もちろん、この座を目指し、維持したいです」と、このウィンブルドン選手権の優勝者(マレー選手のこと)は語った。
いつか生き返ることができることを期待して、冷凍保存されることを望んで死亡したロンドンの14歳の少女の遺体が、ミシガン州にあるクライオニクス研究所に冷凍保存されている。
匿名の少女の遺体は、イギリスの最高裁判所の判事が、少女の願いを認めた後、10月に施設に移送された。判事によれば、このような裁判はイギリスで初めてのケースだという。少女は10月半ばにガンで亡くなった。死亡する前に、少女は裁判所に対し、たとえ「何百年もの時間が」経ってからでも、彼女の患うガンの治療法が見つかったら目覚めることができるかもしれないと期待していることを裁判所に伝えていた。
明治安田生命保険の調査によると、既婚女性が夫に知らせないでいた貯金の2016年の平均額は147万円となり、前年よりも20万円以上増加したという。
11月16日に発表されたこの調査では、一方で夫のへそくりは859,888円と、前年から270,830円増加した。
インターネットによるアンケートが10月6日から10月12日に実施され、有効回答は1,619組の夫婦から寄せられた。この保険会社は、2006年からこの調査を実施している。
スペインの強豪FCバルセロナは11月16日、日本のオンライン小売会社楽天と年間最低5500万ユーロ(60億円)規模の大規模なユニフォームスポンサー契約を結んだ。世界のサッカー界でも最も収益の大きいユニフォームスポンサー契約の1つにおいて、日本の主要なオンライン通商企業(楽天のこと)は、2013年からバルセロナのユニフォームスポンサーを務めてきたカタール航空に取って代わり、欧州サッカー界へ大きく投資したいというアジアの意欲を示した。この契約は、2017-18年のシーズンに開始し、4年間継続する。
カタール航空は契約の最終年次に3500万ユーロ(40億円)を支払ったとされる。
たこ焼き器などを含む40億円以上相当の金製品が、11月17日、大阪高島屋で展示された。
この展示では、4,320万円の純金製のたこ焼き器や3,888万円の純金製のラグビーボールなどを含む約1,000品の金製品を11月21日まで陳列した。たこ焼き器は直径21センチ、重さは約3キロで、団子(たこ焼きのこと)をひっくり返すための金製のようじがついている。製品のいくつかは購入可能だ。
展示品の中には他に、およそ5,000枚の金箔で金めっきをした非売品の高さ2メートルの鳳凰の像もあった。
日立は、レンズを使わずに動画を撮影でき、後から焦点を調整できるカメラの技術を開発したと発表した。国内メーカーとしては初となる。
この技術は特殊な薄型フィルムを用い、従来品よりもカメラを軽く薄くすることができると、日立は11月15日に述べた。同社では2018年頃の商品化を目指している。
この技術は、同心円パターンが印刷されたフィルムを通じてイメージを捉える。フィルムは物体とイメージセンサーの間に設置される。
スイス銀行は11月16日、何千万スイスフランもの額が入ったまま60年以上放置されている相続人不在の口座リストに、さらに300件の口座名を追加したと発表した。新たに追加された口座には、約800万スイスフラン(8億7000万円)の資産が預けられていると、スイス銀行家協会は述べた。
今回発表された口座は、過去60年間、スイス銀行の口座で動きのない個人または企業の2,600口座以上が掲載された、2015年12月に最初に発表された口座リストに追加された。これらの休眠口座は、所有者の相続人が名乗り出てその資金を入手するチャンスを得られるように、ウェブサイトにリスト掲載されている。
フェイスブックは、今年このソーシャルネットワーク上で広まっていた偽ニュースを取り除くツールを持っていたが、保守派を怒らせるのを恐れて使用を控えたと、11月14日に報道された。
オンラインニュースサイトのギズモードによるこの報道は、フェイスブックが作り話や誤情報が広まるのを野放しにし ― 何人かの批判する人々によれば ― 共和党のドナルド・トランプ氏が大統領選挙へ出馬し成功につながった活動を助長したと非難されているさなかのことだった。
フェイスブックのトップであるマーク・ザッカーバーグ氏は、ソーシャルネットワークでシェアされた偽りの話がトランプ氏の勝利への道を開いたという考えを否定している。
中国のウェブサイトは、多くの中国人が北朝鮮の指導者である金正恩氏をからかって呼ぶ「金三代目のデブ」という言葉の検索結果を禁止した。中国の外務省は、他国のリーダーをばかにすることは認められないと述べている。
中国のインターネットユーザーは11月初めから、短文投稿サイトの微博と検索エンジンの百度でその言葉を検索すると結果が表示されないと報告するようになった。これは、広く利用されているものであるにもかかわらず、それが禁止されたことを示すいつもの証しである。
この言葉が前回禁止されたのは、隣国である北朝鮮での最近の核実験後の9月のことだった。
中国外務省の広報担当官耿爽氏は、政府がその検索語を禁止したという報告は、「真実と一致していない」と述べた。
「強調したいのは、中国は世論のため、道理に基づいた、文化的で健全な環境を築くことに常に専念しているということだ」と耿氏は毎日開かれている記者会見で述べた。
中国は「どんな国のリーダーも侮辱したりバカにしたりするような言葉で呼ぶことは認めていない」と耿氏は言い添えたが、詳細は述べなかった。
私が最初に経験したクーデターは1991年の夏のことだった。私はちょうど、ヨーロッパで会議に参加していた。日本に戻る途中、ロシアの同僚たちの何人かに会おうと、モスクワに立ち寄った。数日間を彼らと過ごし、仕事のことを知ることができて、ウォッカをたくさん飲んだのは素晴らしいことだった。
出発の朝、彼らは私を見送りに来てくれた。心配そうだった。「うわさを聞いただけなんだけど」と1人が言った。「ゴルバチョフ書記長が誘拐されたって」。私たちはすぐにテレビをつけた。どのチャンネルも同じものを放送していた ― クラシック音楽が流れるテストパターン(テレビの試験放送で流れる画面のこと)だ。これは良くない兆候だ!
同僚たちは友人たちに電話をかけ始めた。「赤の広場に兵士たちがいる」と一人が伝えた。
私は時計を見て、もう出発しなければならないことに気が付いた。「中断して申し訳ないのだけど、日本へ行く飛行機に乗らないと!」と私は言った。
これが本当にクーデターであれば、空港は閉鎖されることが分かっていた。もしそうだったら、私はモスクワから出られず、家族の元に帰ることができない。
友人の車で私たちは急いだ。幹線道路では、戦車の行列を通り過ぎた。驚くべきことに、空港は開いていて、通常通り動いていた。出発ロビーは混乱していたが、私の乗る飛行機は定刻通りだった。
チェックインカウンターで、私は別のロシア人の同僚と鉢合わせになった。偶然、彼女も同じ飛行機に乗るところだった。「横浜に魚を持っていくの」と彼女は言った。彼女の横には、ロシアのチョウザメが入った5つの水槽があった。「横浜の水族館で展示があるの。魚を連れてきて、通訳をするように頼まれていて」と彼女は説明した。
私たちは何とか席を一緒にしてもらうことができ、その後の9時間をおしゃべりして過ごした。東京で飛行機を降りると、ジャーナリストやテレビレポーターの集団が目に入った。私たちはモスクワから初めて出た飛行機から降りてきたので、彼らはニュースを得ようと必死だった。「何が起こったのですが? 何を見ましたか?」と彼らは私たちに向かって叫んだ。
残念ながら、私たちの飛行機に乗っていた日本人の乗客はロンドンから経由してきただけで、モスクワでは飛行機を乗り換えただけだった。クーデターについては何も知らなかった。私はレポーターたちに申し訳ない気持ちになった。これは重要なニュースだった。人々は知る必要がある。私の日本語は下手だったが、話すことにした。
「ちょっといいですか。モスクワで5日間過ごしたばかりです。クーデターをこの目で見ました」と私は話した。私が見たものを説明している間、すべてのカメラが私の方を向いていた。注目の的になるのは変な感じがした。しかし、一人の目撃者として、私には何が起こっていたのかを伝える責務があった。
報道陣たちが走り去ると、私はロシア人の同僚が税関で魚を通過させるのを手伝った。後から知ったのだが、私のインタビューは全国放送で流れたそうだ。私は有名人だった!
幸運なことに、モスクワでのクーデターの企ては失敗し、首謀者らは逮捕され、ミハイル・ゴルバチョフは解放された。それ以来、他にもクーデターを経験したが、初めてのクーデターのことは、戦車と、ロシアの魚と、クラシック音楽という奇妙な組み合わせとともに、忘れることはないだろう!