何年も前に、友人とその友人と私はウェリントンにある私たちのお気に入りの中国料理店で点心のランチをすることにした。次々に来るおいしい蒸籠料理が運ばれ始めるのを待っていると、友人の友人 ― 白人女性 ― が目の前にあった箸を一膳手に取り、真顔でこう尋ねた:「どうしてもっと現代的なものにしないのかしら」。
友人はその友人のコメントにぎょっとして息をのんだ。「どういう意味で『現代的』と言っているの? そんなこと言えないでしょう!」 友人の友人は、箸を使うことは(進歩が)遅れたことだと思っていたようだ。
この出来事のことは最近、調理道具とカトラリーの歴史についての興味深い本を読み始めるまですっかり忘れていた。私が読んだ章はナイフについてだった。歴史的に、ヨーロッパの多くの地域では、男性、女性、子どもが自分用のナイフを身に着けているのが普通だった。護身に役立つだけでなく、装飾目的や食事、その他の日常的な用途のために用いられた。一方で、中国ではテーブルにナイフを持ち込むという考えは、常に野蛮で下品なことだと考えられてきた。ナイフの場所はキッチンにしかない。ヨーロッパの国々が短刀のようなナイフをテーブルで使うことはマナーが悪いと見なすようになったのはそれよりもずっと後になってからで、こうしたナイフは殺傷能力が低くなるように次第に改変されていった。まず、食事用のナイフには一方にだけ鋭利な刃が付いているようになった。それから見た目が優しくなるようにカーブがつけられた。中国の人々に「(進歩が)追いついた」のはどうやらヨーロッパの人々の方らしい。
テーブルマナーはやや地雷原のようなところがある。今でも、フォークを口の中に入れる際に、フォークのどの面を上に向けるべきかが議論されている。祖母はナイフとフォークの使い方で悩んでいたものだった。彼女は左利きだったが、食事のときに波風を立てないようにするためにと、右手で箸を使えるようになった。
ありがたいことに、今日ではほとんどの国で、どちらの手でどの食事のための道具を持つべきかに、寛容になってきている。それでも、人と食事をするときに相手の気分を害さないように、読むべきルールの本があり、受けるべき講座がある。
しかし、恐らく、食事中に他者の気分を害さない一番の方法は、料理のルーツがある文化をばかにしないことだ ― 食事に使う道具も含めて。箸、ナイフとフォーク、スプーン、手 ― テーブルでこれらをどのように使うかは異なる文化と家庭をよく表している。どの文化にや家庭にも異なったアプローチがあるのだから、「どうして…しないんだろう?」と聞くのではなくて、「どうして…するんだろう?」と尋ねるようにした方がよいだろう。その歴史はさらにもっと面白い会話になる。