7月1日、日が沈んだ直後に、シンガポールの小さな公園は一面のピンク色の灯りと小さな虹で照らされた。
これはシンガポールで年に1度開かれるレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(LGBT)の集会の第9回目で、「ピンクドット」として知られている。
ピンクドットは2009年にシンガポールのLGBTコミュニティーを支持する自発的な活動として始まった。多様性と愛することの自由への支持を示すため、参加者はホンリムパークのスピーカーズコーナーにピンク色の服を着てやってくる。スピーカーズコーナーは、シンガポール人と永住者が政府のウェブサイトで事前登録をした後にデモをしたり、展示やパフォーマンスしたり、スピーチをしたりするために公的に指定された場所だ。
シンガポールは(社会的な改革などを目指す)運動では知られていないが、ピンクドットはますます強力になってきている。2009年には推定で2,500人が参加した。今年は少なくとも2万人はいた。
ピンクドットがより多くの注目と賛同を得るにつれて、難題に直面することが増えている。今年は特に厳しかった。これまでで初めて、海外の企業がスピーカーズコーナーでのイベントのスポンサーを務めることが許可されなかった。これまでのピンクドットは、グーグルやツイッター、フェイスブック、バークレイズ、ゴールドマン・サックスといった海外の企業からの協賛に大きく依存していた。
そこで開催者らは「レッドドット・フォー・ピンクドット」と呼ばれる資金集めのキャンペーンを開始した。シンガポールの人々は自分たちの国を赤い点と呼ぶ。世界地図上でそれほど小さく見えるからだ。
資金集めは大成功だった。120の地元のスポンサーを集めた。昨年は18のスポンサーのうち、地元の企業は5つだけだった。
しかし、シンガポールはLGBTの権利のこととなると、今でもとても保守的な国で、今年はスピーカーズコーナーでのイベントへの海外からの参加を禁止したため、ピンクドットにはずっと厳しくなった。バリケードとセキュリティーチェックの場所が設置され、参加者は入場する前に、自分たちがシンガポール人または永住者であることを証明するために身分証明カードを提示しなければならなかった。
バリケードと身元確認のせいで参加を思いとどまる人もいるのではないかと案じる人もいた。全く反対のことが起こった。参加するためだけに海外から戻ってきたシンガポール人もいた。新しい規制に直面し、賛同を示したいからこそ多くの人々が初めてピンクドットに来た。私もその1人だった。私は人混み恐怖症なのでピンクドットに参加したことはなかった。しかし今年は、そこへ行く決心をした。
地元の脚本家であるタン・ターン・ハウ氏は最もうまく表現した。彼は自分のブログに、「フェイスブックで『いいね』をクリックするだけでは十分でない場合もある。ときには顔を見せなければならないこともある。そうすることでヘイトと抑圧に対して中指を立てることになるからだ。ときには、全然楽しくないことをしなければならないこともある」。
私も同意見だ。そして、ほかの多くのシンガポール人も同意見であることをうれしく思う。しばらく時間がかかるかもしれないが、私たちの小さなレッドドット(赤い点)の上で大きなピンクドット(ピンクの点)が成長し続けるよう祈る。