よく言われるように、良いことは待つ者のところに訪れる。しかし、食べ物を待っているときには誰しも限界があるということを、私はかなり確信している。フードフェスティバルの食べ物は特に。
数ヵ月前、大阪の餃子フェスティバルで、私は気づけばとても長い間、蛇行する列の中で待っていて、その間にこのエッセイのほとんどを書いたほどだ。「待った甲斐があるといいね」とそのときメールを送った友人は言った。
しかし、食べ物に関しては、30分以上並んで待つ価値のあるものがあるとは思わない。そのころにはあまりにも空腹になり、固くなったパンでさえもミシュランの星を獲得したシェフが用意したもののように思えるくらいだろう。
時間をつぶす唯一の方法は、人間観察をすることだ。フードフェスティバルの列によくいる人にはいくつかのタイプがある。
フェステバルのベテランタイプがいる。彼らは待つことに備えて、自前のいすと汗ふきタオル、傘、飲み物を持っている。
スニーク(「こそこそする人」の意味)タイプは、土壇場になって前に割り込んでくる可能性が高い人たちだ。
あつあつのカップルもいて、ごみを捨てに行くために離れることでさえしたくないと繰り返し、おおっぴらに言うことで、まわりにいるすべての人たちにどれだけ愛し合っているかを知らせたがる。
そしてもちろん、ほとんどの人たちは私みたいな人だ。一人で携帯電話を見ながら待っている。
私は、一人で並んでいた若い女性の隣りに立っていた。彼女は暇つぶしに何を考えているんだろうと私は思った。
彼女もまた間違った列を選んで静かに腹を立てていたのだろうか? 彼女は、この餃子店が明らかに一番人気でうれしいのだろうか? 極限の空腹から、禅のようなより高い次元に存在する状態に入ったのだろうか? 私は彼女の顔をさっとのぞき見た ― いや、彼女は私と同じくらいhangry(お腹が空いて[hungry]、怒っている[angry])なだけだった。
ある時点で、カメラ班が到着し、男性の司会者が並んでいた誰よりも先に餃子を食べているところを撮影するために列の真ん前に割り込んできた。
数人の女性は最初、この列に割り込む人(この男性司会者のこと)に怒ったが、幸運なことに、彼とカメラ班は、見た目がよく、似合うパンツを履いていた。女性たちは文句を言うのをやめて、見つめていた。手を振っていた人もいた。
合計で、今まで食べ物のために並んだなかで最長時間を並んでいた ― 2時間待った。そして、だれも殺すことなくどうにか待つことができた。
餃子はおいしかったか? おいしかった。待つだけの値があったか? いや、なかった。別の友人が言った通り、「少なくとも、他にもっと長く感じられる列はないだろう」だった。彼女はきっと正しかったが、私はもうどんなリスクもとることはないだろうと思う。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンは後回しにできる ― なぜなら、私はきっと待てないからだ。