私は銃と共に育った。バーモントの私たちの夏の別荘にある銃のラックには何本か銃があった。それらの銃は使われたことがほとんどなく、誰かを傷つけたこともなかった。時おり、私たちのブルーベリーを取ろうとする人を追い払おうとして父が空中に発砲したものだった。
しかし、それは何十年も前のことだ。今では、ミズーリの隣人が、「数週間、1カ月でも、かなりの大きさのグループを撃退するのに十分な武器」を持っていると私たちに言った。妻は「ゾンビだらけの世界の終わりでも想定しているの?」と冗談を言った。
義理の兄(または弟)はかつて17本の銃を持っていた。彼は、私たちの前大統領、バラク・オバマが銃規制法を可決するのではないかと心配していた。「誰が私の銃を取り上げたいと思おうと、私は死ぬまで銃を手放さない」と彼は言った。こうした感覚はとても一般的で、Tシャツや車のバンパーに貼るステッカーにも書かれている。アメリカ人はみんな銃が大好きだと人々は考えているが、それは実は真実ではない。私たちのほとんどは好きではないが、少数の人々が銃に夢中になっている。人口の3%の私の隣人のような人たちが全ての銃の半数を所持しているのだ。
それにもかかわらず、アメリカでは銃規制の長い歴史がある。リスクの高い人が銃の免許を取るのを阻止するために、多くの人々はより厳しい素性調査が実施されることを希望している。例えば、銃乱射事件の実行犯は圧倒的に男性が多く、家庭内暴力の経歴があることが多い。しかし、家庭内暴力の4分の1は報告されることがないため、多くがそれでも銃を買うことができる。
また、銃乱射事件の犯人の中には全く犯罪歴のない人もいる。9月に50人以上を殺害し、500人以上にケガを負わせたラスベガスの乱射事件の犯人は、これまでに犯罪を起こして有罪判決を受けたことはなかった。
素性調査だけが考えられる銃規制の形ではない。銃器メーカーのコルトはかつて、連邦政府や他の銃製造業者と協力して、スマートフォンのように、登録された所有者でなければ鍵を解除して使用することのできない「スマート銃」を製造した。しかしその後、アメリカの強力な銃のロビー団体―全米ライフル協会が率いる―が関与した。彼らは草の根の不買運動を開始し、コルトはこのプロジェクトを諦めた。
一方、平均して1日に1件の銃乱射事件が起こっており、銃に関連する死亡は年間33000件に及ぶ。
日本では、拳銃ではなく、狩猟用の猟銃しか所持できないことになっていて、免許を取るのに最大6カ月かかったと記憶している。免許取得のプロセスには、精神鑑定も含まれる。どうやら、韓国でも狩猟目的の猟銃しか持つことができず、一日の最後に地元の警察署に銃を引き渡さなければならないらしい!
こうしたこと全てを見るにつけ、アメリカ人の一人としてとても罪深く感じるが、銃を持たない者としてはここでの法律と人々の行動を変えるのには無力感を覚える。私がこのエッセイを書いていた間にも、また一人のアメリカ人が銃による暴力で恐らく亡くなっただろう。