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2018年2月9日号掲載の記事(ST編集部訳) print 印刷用に全て表示
Essay

Winter Olympic memories (p. 10)

冬季五輪の思い出

今月、日本のメディアは韓国の平昌冬季オリンピックのニュースで溢れていた。アジアの国がオリンピックを開催するのはうれしい。しかし、私の記憶の中でこれからも永遠に1番のオリンピックは、札幌で1972年に開催された第11回冬季オリンピックだ。

正直に言うと、私はそんなにスポーツイベントに関心がない。しかし、冬季オリンピックは例外だ。北海道にいる私たちになじみがあるスポーツや選手を多く取り上げるからだ。札幌オリンピックは、欧米以外で初開催された冬季オリンピックだった。スキーのジャンプ種目の笠谷幸生選手のおかげで、日本が初めて金メダルを取った冬季オリンピックでもあった。アメリカのフィギュアスケート選手ジャネット・リン選手の快活さと優雅さに日本が心を奪われたのもこの札幌オリンピック中のことだった。

冬季オリンピック開催の準備をしていた数年間、札幌がいかにほこりっぽくて騒がしかったかを鮮明に覚えている。ほこりが取り払われると、札幌は、世界中から訪問客を受け入れる準備の整った、光り輝く、新たな、未来都市になった。世界でも有数の雪深い大都市の生活を楽にする独自の新しい地下鉄システムと地下のショッピングモールができ、札幌市民の生活も改善された。

私の通っていた高校が冬季オリンピックの特別休日を発表したとき、まさか実際にオリンピックの大会に出向くことができるとは予想していなかった。北海道インターナショナルスクールへのチケットの気前のいい寄付のおかげで、初めてアイスホッケーの試合を見に行くことができた。それ以来、アイスホッケーのファンになった。

しかし、札幌オリンピック中に私に起こった中で最も記憶に残っていることを皆さんに伝えるのは少し恥ずかしい。1972年以前の札幌では、外国人はまだ珍しかったので、地元の住民は見かけた外国人を全員オリンピック選手に違いないと思った。学校に通う子どもたちは、外国人のように見える人に群がり、サインを欲しがった―私にも! 子どもたちに私は特別な人ではないと説明しようとしたのだが、聞く耳を持たない。

最初は、子どもたちが私に突き出してきたノートに、立ち去ってくれることを願って、しぶしぶサインをしていた。しかし、私にサインを求める人が増えるにつれて、逃げられなくなってきた。それで、いたずらをすることにした。私はサインを「リン」にし出した。たまたま、「リン」は私のミドルネームだったので、嘘はついていないと一人で思いながら。でも、私は金髪で、ジャネット・リン選手に年齢も近かったので、もしかすると私のことを有名なアメリカのフィギュアスケート選手だと思った人もいたかもしれない。今は、その悪ふざけをしたことを後悔している。もし、STの読者の皆さんの中に、1972年の私のサインを持っている方がいたら、お許しください。そしてそのサインは捨ててくださいね。

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