2002年、全国の公立の小学校で「ゆとり教育」が始まりました。
「国際理解教育」の一環として、「英語活動(※1)」を始める学校が全国のあちこちで出始めました。
ただ、地域によって英語教育に熱心なところとそうでないところがあるため、本来、平等であるべきはずの公立
の小学校で、格差のある英語活動をしているのが現状です。年に数回の英語教育を行なう学校もあれば、
1週間に一度のペースで行なう学校も、もしくはまったく行なっていない学校もあるといった状態です。
現場の先生方は、そんな現状にジレンマを抱え続けていました。
そんな小学校英語に、ここにきて動きが出てきました。
2011年には、すべての日本の公立の小学校(※2)で「英語活動」が行なわれるというのです。
そのため、その準備段階として、今年の4月から英語活動を取り入れる小学校が増えると見られています。ちまたに増え始めた「キッズを対象とした英会話教室」には、こういった背景があるのです。「小学校英語」の特徴としては、
「英語の音に慣れること」や「成績をつけるものではないこと」が挙げられます。
※1「教科」ではないため、このような呼び方になります。
※2小学5、6年生が対象となり、週1回─年間35時間─とされています。
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父島・境浦にて
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■ALT導入まで
「英語の音に慣れること」─これは特に「島国」という地理的環境や、
「移民受け入れが極端に少ない国の体制」などを考えるに、日本で英語を(ほかの外国語でも同じですが)
学ぶ人々なら、誰もが願っていることでしょう。
だからこそ、100年に一度といわれる大不況にもかかわらず、語学学校が増え続けているのだと思います。
「英語の音」を身近で聞けるという意味では、学校のネイティブの先生の存在が挙げられます。
現在、小学校によっては ALT(Assistant Learning Teacher の略)と呼ばれるネイティブの先生がいます。
元々、こういった先生を受け入れようという制度(JETプログラム)は、今から20年ほど前のバブル期に始まりました。
これは当時の日本が抱えていた問題──増え続ける貿易黒字を何とか減らしたい──を解決する意図から始まったプログラム
といわれており、その評価はさまざま。ゆえに筆者としては、実際ALTをしている先生に出会い、話を聞くチャンスが欲しいと願っていました。
思い続けているうちに、偶然訪れた旅行先(小笠原諸島)で、ALTをしている先生と出会う機会に恵まれました。
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ここは、なんと海岸─キッズが描いたもの
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■離島での英語教育とは?
以前このコラムでもご紹介しました(Click here!)が、小笠原は日本名(小笠原諸島)と英語名(Bonin Islands)の2つの名前を持つ珍しい島です。
飛行機はなく、東京・浜松町の竹橋ふ頭から船に乗ること25時間半、黒潮の荒波を越えると、メーンアイランドである父島に到着します。
日本には5,000ほど島があるといわれていますが、小笠原はその中でもいわゆる「離島」であり、戦後は23年間もの間、米軍統治下にありました。その間、
家では日本語、学校では英語の生活を強いられてきた子供たち。
日本では珍しい〈言語接触〉(※)が起きた島です。
※ 英語と日本語がちゃんぽんになる状態。たとえば、「わたし」のことは "me" と言い、悲しいを "sad" と言う。
例)そのとき、me、sadだったよ。だれも遊ぶ人いなくなっちゃったもの。
以下の表は、小笠原で使われてきた主要言語の移り変わりです。
小笠原・主要言語の移り変わり
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時代 |
主要言語 |
1)1830−1876(国に属さなかった時代・多民族雑居) |
英語(ピジン、クレオール) |
2)1876−1945(日本時代) |
日本語 |
3)1945−1968(米軍統治時代) |
英語 |
4)1968−現在(東京都小笠原村) |
日本語 |
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年代によって言語の入れ替えが起きた島―日本では珍しい現象を経験した地域です。
〈次回予告〉
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アラン先生
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アメリカ人のALT、アラン先生は、
この島の小笠原小学校・中学校に赴任してきて3年目の春を迎えます。
次回は、アラン先生へのインタビューや授業風景についてお伝えします。
*************関連記事*************
・日本の小学校英語について(Click here!)
・ALTについて(Click here!)