小池百合子知事の新党と支持勢力が7月2日、東京都議会議員選挙で圧倒的な勝利を収め、過半数を確保して安倍晋三首相の自民党に東京都議会議員選挙で過去最悪の敗北を与えた。
小池知事の都民ファーストの会は127議席の議会中49議席を得て最大勢力となった。公明党の23議席を含め、支持勢力と合わせて、小池陣営は79議席を獲得した。
自民党はわずか23議席となり、過去最低記録の2009年の38議席をはるかに下回った。自民党東京都連の会長である下村博文氏が、痛烈な敗北の責任を取って、この地位を辞職する事態を引き起こした。
「有権者の皆様が、私たちが都民目線で進めてきた成果を認めて頂いた。皆さんにご理解を頂いたことをうれしく思う。」と小池知事は報道陣に語った。今回の選挙は、昨年8月に小池氏が東京初の女性知事になってから1年の成果を問う住民投票とみなされていた。小池知事は7月3日、知事の職務に専念するため、都民ファーストの会の党首を辞任すると述べた。
2018年後半まで国政選挙は予定されていないが、この選挙は、特に与党自民党と安倍首相への国民の支持を測る国政のバロメーターとして見られていた。
テレビアナウンサーの小林麻央さんが乳がんで亡くなってから1週間が経ち、夫で歌舞伎界のスターである市川海老蔵さんは6月30日、小林麻央さんのブログを英語に翻訳するプロジェクトを開始したと述べた。
「日本人だけだけでなく外国人も麻央と彼女のブログに関心を持っていると聞きました」と、海老蔵さんは自身のブログへの投稿で語った。「これが、乳がんと闘っている世界中の人々やその家族の皆さんの助けになればと思っています」。
小林さんは自身の苦しい体験を昨年9月からブログに書き始めた。それは、小林さんががんで闘病中であることを海老蔵さんが公表してから3ヵ月後のことだった。
文化的な規範(日本では病気のことをあまり公には語らないという風潮があることを指す)からの真新しい脱却の中で、小林さんは「KOKORO」と題したブログを使って、乳がんの治療の経験や家族との日常生活についてオープンに語った。海老蔵さんは毎日翻訳された投稿をアップロードすると述べた。
東京五輪はまだ数年先だが、計画立案者はすでに、大人数の外国人訪問者の宿泊をどうするかという大問題に直面している。政府は2020年までに外国人訪問者を4000万人まで増やしたいと考えている。
1つのおもしろいアイデアは、豪華クルーズ船を海に浮かぶホテルとして活用するというものだと、政府関係者が6月29日に述べた。
これは新しいアイデアではない:政府関係者らは、クルーズ船が2014年の冬のソチオリンピックと昨年のリオオリンピックで使われたと述べた。
特別委員会が6月29日にそのアイデアを検討するために会合を開いた。この委員会には政府関係者、自治体関係者、クルーズ船の運営会社などが含まれている。特別委員会はこのアイデアが可能かどうかを検証する。法的な問題も考慮する。
官公庁のある職員は、東京と横浜の港がこの計画の候補地のトップ2だと述べた。どちらの港も大型の豪華クルーズ船を扱うことができる。
安倍晋三首相は7月3日、彼の自民党が東京都議会で最大勢力の地位を追われ、小池百合子知事の新党と支持勢力が過半数を確保した後、「国民の信頼を回復する」と誓った。
国政のバロメーターとして見られた7月2日の選挙は、安倍首相や閣僚、自民党の国会議員を巻き込んだ一連のスキャンダルの後に行なわれた。
翌朝報道陣に対し、安倍首相は自民党は政権への批判を「深刻に」受け止めなければならないと述べた。
日本側のある情報筋によると、アメリカのレックス・ティラーソン国務長官の都合が合わず、日本とアメリカは7月中旬に予定されていた外務・防衛担当閣僚の協議を延期したという。
両政府はトランプ政権になってから初めてのツー・プラス・ツー会談(日米安全保障協議委員会の通称)をワシントンで7月14日頃開くことで調整していた。
しかし、ティラーソン国務長官がその時期に都合を合わせることが難しいと、情報筋は7月3日に報道陣に話した。
1月1日時点で地価は平均で前年から0.4%上昇し、2年連続の上昇となったと、国税庁が7月3日に公表された年次報告書で発表した。
国内で地価が最も高かったのは、東京の銀座のショッピング街にある有名な文具店鳩居堂正面の土地で1平方メートルあたり4032万円で、前年から26.0%上昇した価格だった。この地所は32年連続で日本で最高額の地価となっている。
全体として、地価の上昇は観光ブームが一因となっている。
数週間にわたり全国の人々がハラハラしながら見守る中、将棋の史上最多連勝記録達成を目指す藤井聡太さん(14)の連勝記録は7月2日、29でストップした。
現在四段のこの将棋の神童(藤井さんのこと)は、連勝を30に伸ばそうとしていたが、東京将棋会館で行なわれた栄誉ある竜王戦決勝の2回戦で22歳の佐々木勇気五段に敗れた。
「連勝記録はいつか途切れてしまうもの」と藤井さんは試合の後で語った。この敗北にもかかわらず、藤井さんの連続した勝利は(人々の)将棋への関心を復活させた。
中国当局は6月29日、アメリカ、ドイツ、そして欧州連合の外交官に、ノーベル平和賞受賞の活動家である劉暁波氏の、病気の治療を受けるための出国は認められないと伝えたと、情報筋が話した。
劉氏(61)は2009年、抜本的な政治改革を求める請願の執筆を手伝った後、「国家権力の転覆を煽動した」として禁錮11年の判決を受けた。
劉氏は病気療養のための仮釈放を認められた後、瀋陽市の病院で肝臓の末期がんの治療を受けていると、劉氏の弁護士が6月26日に述べた。
イラクの首相は6月29日、モスルにある重要なモスクをイラク軍が奪還した後、「イスラム国(IS)」のカリフ制国家の終わりを宣言した。このモスクはISが以前に爆破していた。
しかし、ハイダル・アル=アバディ首相がツイッターで声明を投稿したにも関わらず、大きな衝突が起き続け、野戦病院はいっぱいになり、イラク北部のこの都市を数百人が避難することを余儀なくされた。
この情報は、ISの戦闘員らが最後の抵抗を見せているモスルの旧市街近郊へイラク軍が進行するなかで出された。
ドナルド・トランプ米大統領は、韓国の文在寅大統領と6月30日に会談した後、北朝鮮への断固たる対応の必要性を強調した。
ホワイトハウスでの、文大統領との共同記者会見でトランプ大統領は、北朝鮮の核と弾道ミサイルの開発には「断固たる対応」が必要であり、北朝鮮政府への「戦略的な忍耐」の時代は終わったと述べた。
「北朝鮮政府に対する戦略的な忍耐の時代は失敗した。…率直に言って、終わった」とトランプ大統領は述べた。
ブラジル警察は7月3日、整形手術を行ない当局から30年近く逃亡していた「ホワイトヘッド」として知られる有名な麻薬王を逮捕したと発表した。
警察はルイス・カルロス・ダホッシャ容疑者がマットグロッソ州で7月1日に逮捕されたと発表した。ダホッシャ容疑者はブラジルの裁判所から、世界規模での麻薬密売とマネーロンダリングで50年以上の禁錮刑を言い渡された。
警察は、飛行機や高級車を含め、この麻薬王の約1000万ドル(11億円)相当の資産を押収した。
恐竜を一掃した大規模な小惑星の衝突により、カエルが地球上にコロニーを作る余裕が生まれたと、7月3日にある研究が発表した。10種類ものカエルが約6600万年前の恐竜絶滅を生き延びたと考えられていると、この研究は述べている。この生き残りのうち、わずか3種の主要なカエルの種類が多様化を進め、地球に生息し続けた。「カエルは2億年前にはもう存在していたが、この研究は、カエルの爆発的な多様化は恐竜の絶滅まではなかったということだ」とこの論文の共著者で、フロリダ自然史博物館で両生類と爬虫類の準学芸員を務めるデビッド・ブラックバーン氏は語った。
イギリスの神経科学者が開発した脳を訓練するコンピュータ・ゲームは、認知症のごく初期の患者の記憶を改善することが示され、認知症患者の認知機能低下の症状を逆転させるのに役立つかもしれない。クイズ番組のようなアプリを開発して認知機能とモチベーションへの影響を実験した研究者らは、このゲームを1ヵ月間やった患者は記憶力の数値に40%ほどの改善が見られたことを発見した。「我々は健康的に歳を重ねることと中程度のアルツハイマー病に関する今後の研究にこれらの発見を発展させていきたい」とケンブリッジ大学でこの研究を率いたGeorge Savulich氏は語った。
新しい研究によると、ワシントン州の内海によく現れる絶滅危惧種のシャチが妊娠に問題を抱えているのは、エサになる魚が十分に見つけられないせいだという。研究者らは糞に含まれるホルモンを分析し、7年間で3分の2以上のシャチの妊娠が失敗していることがわかった。この問題はシャチが好んで食べるチヌークサケの不足によってもたらされる栄養上のストレスと関連があると研究者らは考えている。「シャチの多くが妊娠はしているが、栄養が不十分だと妊娠を維持することができない」とワシントン大学の生物学教授サム・ワッセル氏は述べた。
オウムのようなくちばしをした二足歩行の羽毛恐竜は、現在の鳥ともう1つ似通った特徴を持っている ― ニワトリと同程度の温度で卵を抱いていたことが、6月28日にある研究で示された。ダチョウほどの大きさの「オビラプトル」は卵の上に座り、現代のニワトリ(37.5℃)と同程度の温度域である35〜40℃で抱卵していた。中国とフランスの研究チームは、7つのオビラプトルの卵の殻と胚の骨から酸素原子を計測した。この分析で抱卵中に胚が形成される温度が明らかになったと、フランスのCNRS研究所の古生物学者で論文の共著者であるローマン・アミオット氏は述べた。
メキシコは6月30日、訓練されたイルカを使って、最後に残っている「コガシラネズミイルカ(通称バキータ)」を保護区に入れる計画を発表した。極めて絶滅が危惧されているこの種を守る最後の望みをかける。科学者らは残っているバキータはわずか30頭と推定している。バキータは世界最小のネズミイルカでカリフォルニア湾の水域にしか見られない。ラファエル・パッチアーノ環境相は、当局ではアメリカ海軍による訓練を受けたイルカを配備して、なるべく多くのバキータを保護区に誘導すると述べた。メキシコ政府は6月30日に、バキータの死亡の原因となることが多い魚獲り網を恒久的に禁止したことも発表している。
大型兵器の影で、珍しい蝶が繁栄している。奇妙なことに、アメリカ軍のおかげである。「フローズンフェアリー(シジミチョウ)」は、開かれた空間を理由にいくつかの防衛施設にすみかを見つけたとアメリカの魚類野生生物局の生態学者ロビン・ニヴァー氏は述べた。「軍事訓練は開かれた大きな空間を必要とするため、これらの基地は米国内の最後の未開の地といえる」とニヴァー氏は語った。この茶色の蝶はウェストオーバー・エアー・リザーブ・ベース、マサチューセッツ州のキャンプ・エドワード、ウィスコンシン州フォート・マッコイ、ノースカロライナ州フォート・ブラッグ、ニューハンプシャー州ナショナル・ガード・ステート・ミリタリー・リザベーションで見つかっている。
日本の古都京都には史跡から美しい景観まで、観光名所がたくさんあるが、もう1つ名所がリストに加わることになった。それは世界初、畳の部屋があるスターバックスのコーヒー店だ。
アメリカのコーヒーチェーン店であるスターバックスコーヒーの日本法人スターバックスコーヒー・ジャパンは6月30日、日本家屋で畳の床がある世界初のスターバックスとうたう新店舗をオープンした。
スターバックスコーヒー・ジャパンは、ユネスコの世界遺産に登録されている人気の観光地・清水寺の近くにある築100年以上の2階建ての日本家屋が店舗として使われていると発表した。
2階には畳の部屋が3室あると、この東京にある会社(スターバックスコーヒー・ジャパンのこと)は述べた。
この店舗は、伝統的な店舗が立ち並び、清水寺から高台寺までのびる人気の通り二年坂に面している。
スターバックスコーヒー・ジャパンは、この周辺の静かな雰囲気を害さないために、店の前に行列をつくることは許可せず、混雑時には客数を制限するという。
私たちは、さまざまなスポーツが見られ、あらゆる人種の選手たちによる素晴らしいパフォーマンスを見ることのできる多文化の世界に生きていて幸せだ。物事はいつもこんなふうだったわけではない。過去には差別がはびこり、スポーツは人種によって分離されていた。
野球を例に挙げてみよう。何年もの間、アメリカの黒人と白人は一緒にプレイすることが許されていなかった。メジャーリーグベースボールは白人選手だけのものだった。これが1947年にブランチ・リッキーとジャッキー・ロビンソンのおかげですっかり変わった。
ブランチ・リッキーはブルックリン・ドジャースの総支配人だった。彼は黒人選手の才能に感銘を受け、彼らが直面している偏見に怒りを覚えていた。彼は黒人と白人が平等に一緒にプレイできるように野球を統合したがっていた。
そうするために、ブランチ・リッキーは、優れた野球をする黒人選手を必要としていた。最終的に、彼のスカウトは完璧な候補者を見つけた ― ジャッキー・ロビンソンという名の若者だった。
ロビンソンはカリフォルニアで育った。彼の夢はメジャーリーグでプロ野球をすることだった。1つだけ問題があった ― 彼は黒人だった。
リッキーやロビンソンに、全員が白人のリーグで初の黒人選手として直面するであろう憎悪について警告した。ジャッキーは、自分にできる最高の野球をすることでこの人種差別に耐えなければならなかった ― 怒ったり、やり返したり、諦めたりするのではなく。
ほどなくして、リッキーはロビンソン ― MLB初の黒人選手 ― がブルックリン・ドジャースに1947年のシーズンに参加すると発表した。
ジャッキーの最初の1年は厳しかった。辞めると脅すチームメイトもいた。ライバルチームは黒人選手と対戦するのを拒んだ。人種差別主義者の観客はジャッキーに悪口を言い、侮辱の言葉を叫んだ。ジャッキーには憎しみのこもった手紙や殺害の脅迫状が届いた。
こうした嫌がらせにもかかわらず、ロビンソンが素晴らしい選手であることは誰も否定できなかった。彼は素晴らしい守備をし、信じられないような送球をし、大胆不敵な盗塁をした。1947年のシーズンの終わりには、彼はその年のルーキーに選ばれた。1949年、彼は最優秀選手に選ばれた。
ジャッキー・ロビンソンは、1958年までメジャーリーグでプレイした。引退後も彼は後の人生を人種差別撤廃に向けて取り組んで過ごした。1972年に53歳で亡くなった。
2013年、彼の物語がハリウッド映画『42』になった。この数字は彼のユニフォームの背番号だ。彼の人生は毎年ジャッキー・ロビンソン・デーに思い起こされ、4月15日に全国イベントが祝われる。
アメリカの野球の統合は、2人の男性の行動のおかげで実現した ― 1人の白人と1人の黒人によって。今年はこの歴史的な出来事から70年になった。
人種差別の壁を崩すために協力することで、ブランチ・リッキーとジャッキー・ロビンソンは、全ての人種の優れた選手に門戸を開いた。彼らの行動を通じて、選手が肌の色ではなく能力で評価される現代のプロスポーツの世界を生み出すのを助けた。