オーストラリア人の主人と結婚し、シドニーでの生活を始めたのは26歳のときでした。それから24年が経ち、主人の仕事が一段落し、息子が大学を終えた時点で帰国する決意をしました。そして2年経った今、英語の私塾で3歳から中学生まで、30人近い子供たちに英語を教えています。
私が今回、このようにST Onlineで原稿を書かせていただくことになったのは、学校とは離れた教育の場で、子供たちを見ていて感じたこと、考えさせられたことを文章にしてみませんかというお誘いを受けたからです。普段から子供たちの姿を通じて、日本の社会、教育、家庭のあり方について私なりに思うところもありましたし、日本を長く離れていた私の経験や視点が、子供たちをとりまく環境に対して、いい意味での問題提起になればとも思い、お引受けすることにしました。
また、わが家では息子はオックスフォードに、義理の息子はハーバードに——というと、大変な俗物だと思われるかもしれません——進みましたが、彼らがどのような環境で育ち、どのような動機で入学したかということに触れることも、何かの参考になるのではと思います。有名校志望の傾向は万国共通ですが、日本は何かが違う。今、子供たちを教えながら、それが何か、徐々に分かってきたような気がします。
多くの人種が住むオーストラリアに住んだことも、言葉というものを考えるうえでよい経験となりました。日本人が子供に英語を習得させたいと願っているのと同様、わが家では息子にいかにして日本語をキープさせるかが大きな課題となりました。もっとも、日本人駐在員の家庭の方が言葉の問題についてはより深刻だったと思います。
私自身は、38歳のときにシドニーのニューサウスウエールズ大学に入り、大変な思いをして卒業しました。ダブルメジャーというシステムに挑戦したのも原因でしたが、最後の2年間は意地で通いました。意地を張りすぎて、結局卒業式には出席しませんでした。英語を母国語としない者が、英語圏で、総合大学の学部を卒業することがいかに大変であるか身をもって知りました。この話も、何かの役に立つでしょう。
なぜ、30代の後半で、子育てに追われながら大学へ行ったのか。これは、私自身の育った背景があります。田舎の教育環境、親の夢、団塊の世代の大教室、戦後の教師の質、学校の成績重視の社会環境、多くの必修科目など。こうした問題点は挙げればきりがありません。私自身が落ちこぼれにもなりましたが、後に子育てをする際に、自分の育ってきた環境が貴重な反面教師となったことは確かです。
今、教育の仕事に携わり、思うこと。子供たちが疲れています。なぜでしょう。そして、改善に向かっていると日本人が信じている英語教育も、私にはさほど進んでいるとは思えません。このあたりの問題は、私自身がこれから取り組んでいくべき課題だと思います。四半世紀にわたるオーストラリアでの生活で、私には「がんばる」という類の意気込みはすでに消滅したかのようで、肩の力の抜けた気ままな雑記となるかもしれませんが、書く方に構えがない分、読まれる方にとっては気が楽かもしれません。
お子さんを持たれている方はもちろん、広く教育に感心のある方にお読みいただければ、うれしく思います。
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