Writer's Biography
伊藤 サム
群馬県生まれ。父親は日系二世。高校時代に米国に留学。一橋大学に入学後、英国のロンドン大学へ1年間留学し、脳解剖まで経験。大学在学中に英検1級合格者総代。卒業後、ジャパンタイムズ記者となり、外務省、首相官邸などを担当。現在、ジャパンタイムズ編集局次長・『週刊ST』編集長(執筆当時)。著書に『第一線の記者が教える 英文記事の読み方』、『第一線の記者が教える ネイティブに通じる英語の書き方』(ともにジャパンタイムズ刊)など。
My Article
思い出の記事:「返還直後の香港」
"SAR Hong Kong's business remains business "
(1997年7月付ジャパンタイムズより)
Behind The Scene * 思い出の記事執筆時のエピソードを記者が語ります。
[ジャパンタイムズ・教育事業局長]伊藤 サム 談
この記事は出張で香港返還直後を取材して書いたものです。返還で観光客が来なくなった香港側が、キャセイパシフィック(香港の航空会社)と協賛で、「香港は何も変わってないですよ——見に来てください」というキャンペーンみたいなものをやっていたころで、私もそういった香港の状況を見に行った一人でした。
返還前の香港にも行ったことがありましたが、そのときとこの記事を書いた返還後の香港に大きな差はありませんでした。ごみ箱についている表記が英語じゃなくなったとか、そういったことぐらいしか変化は見当たりませんでしたね。
何日か香港に滞在して、帰国中飛行機の中で取材中に取ったメモを読み返しながら、ポイントに線を引いて、記事の準備をしていました。成田空港に5時に到着してそのまま会社に直行し、社に着いたのが7時でした。
その後11時ごろまで普通の勤務や雑務をこなして、それから記事を書きはじめたのを憶えています。結局、書き終えたのは朝の5時でした。私は時間がたつと取材中のことを忘れてしまうから、後々に延ばすのがいやなんです。そのころは社で朝まで記事を執筆するなんてことはざらでしたね。
紙面1ページの3分の1ぐらいの長さを一気に書き上げた感じでした。あっという間に書けました。記事が紙面に載ったあと、報道部の記者に、「伊藤さん、いつのまにか出張に行っていつのまにか記事が出てますね」って言われて。
記事の内容について、うまいとか、そういう感想を期待してたら、「記事を書くのが早い」って感想だったという(笑)。まぁ、でもね、記者にとって記事を書くのが早いということは一番大切なことですからね。
Inside Out * 記者の隠された一面をご紹介します!
サムの変わり物好きは会社(の一部)では有名。足の指先が分かれている靴下を履いていることなんて序の口。彼の発明(?)の一部を紹介します。
記者根性:どんなに狭いところでもいい記事になりそうなネタを見つけたら記者魂は燃え上がる。満員電車でも回りの人たちに迷惑にならないように筆記用具はなるべく小さく!の発想で生まれたのが、ボールペンの芯だけを使ってメモを取ること。しかも、赤と黒、両色の芯をセロテープでくっつけて、「こうすると二色同時に使えるんだよ」と自信満々。「一本のペンに二色の芯が入っているのがありますよ」と言っても聞く耳持たず。「この方が場所を取らない!」。ビバ、記者根性!
防寒命:記者はスーツが普段着。でも冬はちょっと寒い。そこでサムは、スーツの襟をトレンチコート風に立てて前で合わせられるよう、マジックテープで留められるようにしました!さらに、前をチャックで閉じられるスーツも登場。極めつきは、「これをかぶると雨でもへっちゃらなんだ」(また自信満々、かつ、うれしそう)と、スーツの襟にフードをつけました。一人チクチクお裁縫をしたそうな。寒いとスーツの上にフリースのジャケットを着ることもあるが、極寒の真冬に「サムさん、そんなジャケット一枚で寒くないですか?」と聞くと、サム、ジャケットを開いて、「こうしてると暖かいんだよ」。なんとジャパンタイムズを胸元に何枚も挟み込んであった!!
七つ道具:サムは一時期ずっとウエストポーチを着けていた。サムと言えばみんな、耳に赤鉛筆、ケツポケットにジャパンタイムズ、そしてウエストポーチといういでたちを思い浮かべる。気になるウエストポーチの中身だが、彼は七つ道具を中に入れて持ち歩いているらしい。記事の長さを測るメジャーが出てくることもあれば、気に入った記事をその場で(電車の中でも)すぐに切り取れるようにミニカッターが出てくることも。残念ながらこれ以上のことはなぞにつつまれたままなのだが、いつどんなほかの奇想天外なグッズが飛び出すのか楽しみである。 |