私が主人と会ったとき、彼はすでに離婚しており、先妻との間に3人の子供(男の子2人と女の子1人)がいました。ルークというのはその末の息子です。のちにハーバードに入りましたが、幼少のころはあまり幸せだったとは思えません。
私がシドニーで生活を始めたとき、彼は小学校の4年生でした。3人の中では私に一番なついてくれて、学校での出来事などをよく話してくれました。
主人の離婚の原因にはいろいろあったようですが、ルークの存在もその一つだったと聞いています。大変難しい子で、母親が手を持てあましていたとのこと。夫婦が不仲の最中に生まれた子なので、母親の妊娠中の精神的な不安定感が、胎児のときに影響を及ぼしたのかもしれません。
ルークには夢遊病癖がありました。真夜中、おかしな音がするのでドアをそーっと開けると、パジャマ姿の彼が肩を落として長い廊下をゆっくりと歩いているではありませんか。私の前を平然と通り過ぎ、反対側の壁の直前で向きを変えるのです。主人を起こしたところ、またかという感じでルークの肩を抱き、寝室に連れ戻しました。それ以降は私も慣れましたが、こうしたことは頻繁に起こりました。
私に息子ができてから、ルークはベビールームに入ってきては、よく一緒に遊んでおりましたが、いつのことだったか、コットに"You are lucky"と書かれた紙切れが貼ってあるのを見つけて、胸がつまる思いをしました。実の母親がDarwinからシドニーに来ると、一番先に会いに行って、最後まで残っているのが彼でした。時々、泣きながら帰ってきたのを覚えています。
私も自分の子供の世話に手一杯で、3人の子供と一緒に住むことに問題が生じるようになったため、母親が息子2人をDarwinに引き取ることになりました。出発の前日、ルークは隣の家の漆喰の彫像をクリケットのバットで全部壊してしまいました。主人は理由が分かっているので何も言わず、先方の要求額を全額支払ったようです。翌日、息子2人を見送った空港から帰ったときは、主人の目も真っ赤でした。
そして数年が経ちました。Darwinの高校を卒業する直前、ルークは弁護士になりたいと主人に相談しに来ました。弁護士の主人は、地方の高校からシドニー大学の法学部に入るのは難しいので、最初に数科目を聴講し、好成績を修めてから正式に入学するとよいのでは、というガイダンスを与えました。彼はその通りにして、翌年正式に法学部への入学を果たしました。初年度はシドニーで私たちと一緒に住んでいましたが、女ばかりの家庭で育った私が、大学生の男の子の生活サイクルに理解を示さず、かつ母親からの電話も頻繁で、結局2年目には家を出て行かざるを得なくなりました。
家を出ても、主人は金銭的な援助は一切しませんでした。
ルークは好成績でシドニー大学の法学部を卒業し、父親の提案を受け入れて政府関係の仕事に就き、その後、ハーバード大学のロースクールに入り直しました。このとき彼は30歳で、すでに3人の子持ち。家族全員を引き連れての留学となりました。そしてハーバードも優秀な成績で卒業し、現在では大きな法律事務所のパートナーとして、シドニーで活躍しています。
ルークのことはまた書きますが、当時のことを思い出すたびに、親が「勉強しろ」とはっぱをかける効果がどこまであるのか疑問を感じてしまうほど、ガッツで自分の道を切り開いた人間です。
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