良い教師と悪い教師、人気のある教師とそうでない教師。この評価は大変に難しいものだと思います。
私が通ったニューサウスウェールズ大学のロシア語学科には、ロシア文学の権威であるにもかかわらず、英語ができないために大変不人気なロシア人教師がいました。
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シドニーの総合大学で、ロシア語を教えているのはニューサウスウェールズ大学だけです。当時、政権を握っていた自由党が大学への助成金を大幅にカットしたため、わがロシア語学科も例に漏れず、少ない教師でやりくりをしておりました。
古今東西、あまり人気のないロシア語学科のこと。生徒の数も少なかったので、少数の教師でもさほど支障はなかったようですが、旧ソ連を亡命した元科学アカデミー会員でロシア文学の権威であるような方が、初歩のロシア語コースを担当するという荒業が行なわれておりました。ウルマンというのがその教師の名前です。
私は、入学前にロシア語をやっていたため、飛び級で2年に進級し、1年のロシア語は受講しなかったのですが、ウルマン先生に対する悪評はいたるところから耳に入ってきました。彼の英語が、講義をするのに不十分であったことと、学究肌であった先生に、それをカモフラージュする器用さが欠けていたためです。
2年目のクラスメートたちは、ウルマン先生に対し公然と抗議するようになりました。「なんで生徒がここまで犠牲にならなきゃいけないの」と、主任に半泣きで訴えている学生もいました。
私は入学前からウルマン先生を存じ上げていたので、抗議が出ている旨を先生に警告したことがあります。そのとき、先生は何の弁解もなさらず、しばらく考え込んでいましたが、急に話をロシアの政治問題に替えてしまいました。しかし、70歳を超える先生の白髪頭は、眼鏡と共に心なしか悲しそうに傾いていました。
卒業後もロシア語の勉強を継続したいと思い、先生に個人授業を依頼したら快く受け入れてくれて、短編や中編の中から作品を選んで読んでくれました。読み始めは英語の解説もあるのですが、クライマックスに達するとロシア語一辺倒となり、舞台俳優のごとく大仰なジェスチャーで、狭いベランダを行ったり来たり。そんな講義が面白く、随分長い間通いました。
その中では、プラトーノフの『帰還』が一番記憶に残っています。筋はここでは概略に留めますが、数年ぶりで除隊し、妻と二人の子供が待つ家に帰った主人公イワノフが、妻の忠誠心に疑問を感じて家を出るという物語です。先生の講義は、気持ちが揺らいでいるのは主人公自身なのだ、と説明するあたりから徐々に白熱してきます。汽車が動き出す場面では、デッキに立っている主人公になりきって先生も立ち上がり、「あれが妻が働いている工場だ」と、窓の外を指差して、家族を捨て去るイワノフの心情を声高々と朗読するのでした。そして、静寂。
「二人の子供が村道を走っている。大きい方が小さい方の手を引っ張りながら。二人は、しばらく立ち止まって駅の方角を眺めていたが、列車が走り出すのを見て再び走り出した。ころんでは起きながら、手を振って走って来る。大きい方の子供はサイズの違う靴を履いている。だから、よく転ぶのだ」
先生の声は頂点に達し、そして、静寂。次の言葉が出てきません。静寂があまりに長いので、私は本から目を上げ、上目づかいに先生の方を見ました。
先生は壁に寄りかかり、ハンカチを目に当てて泣いているのでした。
その日、授業のあと、いつものように車で先生を大学まで送りましたが、先生は大学の前で足元を見たまま動きません。Are you all right? と聞いたら、われに返って「スパシーバ」と礼を言い、文学部の建物の方角に向かって、ぎこちなく歩いて行きました。よく見たら、右足に茶色、左足に黒色の靴を履いていました。
私は今でも、ウルマン先生をテクニカルに良い教師だとは思っていません。でも…私が何を言いたいのか、読者の皆さんにはご理解いただけるのではないかと思います。
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