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小さな英語教室

By Yuri Kiba / キバ・ユリ

オーストラリア人の夫と結婚し、シドニー在住歴24年の筆者が、学校とは離れた教育の場で、子供たちを見ていて感じたこと、考えさせられたことを紹介するコラムです。
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Yuri Kiba / キバ・ユリ

Vol. 8 : 憲人君と釣り

 ある生徒の話を聞きながら、ときどきシドニーを思い出すことがあります。その生徒とは、将来、fishermanになりたいという釣り好きな12歳の憲人君です。

 1976年に私がシドニーに行き、初めて居を構えたのはNewtral Bayという地域でした。しばらくして、主人の実家があったシドニー湾入り口にあるWatson's Bayに移り、風光明媚なその土地に12年近く住みました。

 その後、息子がイギリスの大学に行くことになり、夫婦2人ではあまりに家が大きすぎるので売却し、Double Bayという市中に近い商店街のタウンハウスを購入しました。

 3個所ともBayという名が付いているとおり、海岸に近く、散歩に行けばすぐに海で、そこには釣り糸を垂れる人や沖に出て行く漁船の姿をいつも見ることができました。海の幸は実に豊富で、山梨県という山に囲まれた地域で育った私は、魚の種類や料理法をゼロから覚え、食に関する限り、ずい分ぜい沢な生活を送ったものだと思います。

 憲人君のお宅では、お父さんが輸入関係の仕事でスイスへよく出張なさるため、子供たちにも早いうちから英語を修得してほしいという意図があり、私の教室に通い始めたのでした。

 とても優秀な生徒です。見かけは、ドラエモンに出てくる「のび太君」を想像していただくとよいでしょう。ご両親も子供二人と一緒に英検を受けるような教育熱心なご家庭です。fishermanになりたいという希望について両親がどう思っているのか、憲人君が聞いてみたところ、「何になってもいいって。でもfishermanになるのにも英語が必要だって言うんだよ」とのこと。ご両親は奇弁を弄(ろう)したなと思って、笑ってしまいました。

 釣りには友達と多摩川に行ったり、ニジマスの釣堀に行ったり、時にはお父さんと東京湾でBlack bassを釣るツアーや川でのヤマメ釣りに参加したりするのですが、その度に熱を込めて話をしてくれるのでした。釣り雑誌を持って来て説明してくれたこともありました。それを見ると、釣りの専門用語には英語が結構使われていて、fisherman同士ではそのまま通じるような感じです。

 英語の授業が終わると白板にいたずら書きをしていくのですが、いつも、東京湾遊漁協同組合(私もようやく覚えました)のトレードマークになっているハゼの絵。先日は、小学生が参加できる料理教室に応募して当選し、大層喜んでいました。「魚を三枚におろす腕を見せてやるんだ」と張り切って出かけたようです。

 年が年なので経済的な限界はありますが、魚好きの例にもれず食通です。「昨日は秋刀魚が100円だったから、買って塩焼きにしてさー。おいしかったなー」とか、「うなぎ屋さんへ行って、天国へ行った気分。でも、たまには極上を食べたいなー。いつも並なんだもん。少し寂しいなー」とか。授業に来る前に近くのスーパーに立ち寄ると、その日の魚に関するお買い得情報なども教えてくれます。

 先日は、授業が始まる前にお母さんから電話がありました。「すみませんが少し遅れます。あの…」と少し言いにくそう。「飼っている金魚を洗っている最中に1匹ふんづけちゃって。今、大泣きに泣いているんですよ」。30分遅れてクラスに来たときには目が腫れて、白板に書いてある英語がよく見えないようでした。答えもしどろもどろ。

 事故の状況を聞いてみたら、18匹の金魚を風呂場で洗っていたら、風呂桶の中央にある穴から3匹が逃げ出し、それが床に出てきたところを踏みつぶしてしまった由。あとの2匹は行方不明。

 最近、釣りや魚の話をしたあと、「僕、オーストラリアに行きたいなー」とよくつぶやいています。

 私も、24年のシドニー生活に区切りをつけて東京での生活も3年目。そろそろ、シドニーが懐かしく思えます。もしかしたら、憲人君の釣りと魚の話が、私に、シドニーの海の景観を思い起こさせているのかもしれません。

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