先日、新しい生徒の体験レッスンでほかの教室に行き、慣れないためにドアをガチャガチャさせていたら、中から若くて背の高い金髪の女性が顔を出しました。2ヵ月に1度の外国人教師による授業を行なっていたのです。
私は彼女に理由を説明して、隣の教室を使ってよいかどうか聞きました。数枚のついたてで区切られただけの教室だったので嫌な顔をされるかと思いましたが、快くOK。
授業を終えたあと、私たちの部屋に来て、さよならのしぐさをしてからちょっとお辞儀をしました。日本に長い間住んだり、日本語をマスターしたり、日本の文化に触れたり、はたまた日本人と結婚したりした外国人の女性の中には、日本人よりも日本的になる人がいるようです。一昔前、シドニーに住んでいるときに、そんなことを思ったときがありました。
Watson's Bayというシドニー湾の入り口にあった家が増築を重ねて大層大きくなり、もっと手入れが簡単な小さな住居に移ろうと売却することにしたときのことです。
内装や外装の修理を数人の職人に依頼しましたが、その中にマイケルというイタリア系イギリス人の若い塗装工がいました。イタリア系移民は、職人として生計を立てている人たちが多いので、塗装業は家業かもしれません。引退したジョージというペンキ屋もナポリ出身で、よく「オーソレミオ」などのイタリア民謡を歌いながら仕事をしていました。
この習慣はマイケルにも受け継がれていましたが、世代と国籍の違いで、彼のレパートリーはジャズ。それもかなり声高に、しかも大振りに体を動かしながら歌うので、外壁のペンキを塗っていたスペイン人3人組が面白がって、リズムに合わせては手をたたいたり、掛け声をかけたりして大層にぎやかでした。
彼はまた、塗装業のほかに、キルギスタンやタジキスタンなどに出向いてはカーペットを仕入れ、それを卸したりシドニーの市場で販売したりしていました。晴れた週末には、「ちょっと失礼」と、塗装の仕事を放り出し、青空市場へカーペットを売りに出かけていくのでした。彼とはときどき話をしましたが、一緒に住んでいるイギリス人の女友達が、ロンドン大学の日本語学科を卒業し、日本語が堪能だという話には大変驚かされました。
内装も終わりに近づいたころ、私どもは、白地に金と銀の細い紙が散りばめられている日本風の壁紙をある店で見つけて購入しました。この壁紙にはマイケルも感激し、日本のデザインに関心のある女友達を連れてきてもよいかと私に聞きました。もちろん反対する理由はありません。
その日、私は用事があって家にいませんでした。春先で、裏庭の木蓮の花が満開でした。夕方、帰宅してから裏のサンルームへ行き、テーブルの上に木蓮の花が一輪置いてあるのを見つけました。私の方にも、日本文学を学んだ彼女が、訪れを示唆するようなものを人知れずに置いていくのではないかという予感があったのかもしれません。
その木蓮の一輪は、こう言っているように思えました。
「今日、私はここに来ました。裏庭の木蓮の花が大変きれいでした。話をしたかったけれども、お会いできなくて残念でした。木蓮の花を置いていきます。日本人ならば、何か感じていただけるでしょう」と。
毎年、小さな鳥がたくさんやってきては木蓮の花をつついていくので、たくさんの花が地面に落ちるのですが、テーブルの上の一輪は、私へのあいさつだけでなく、落ちてしまった花に対する憐憫(れんびん)をも表しているように思えました。
その後すぐ、家は競売に入り、マイケルは私の家から姿を消しました。あれから7年、2人は今、世界のどこにいるのでしょうか。
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