夏休みが終わりました。でも本当に「休み」なのでしょうか。かえって忙しかったという子供の多いこと。
週3回、朝10時から午後4時まで塾、なんていう生徒もいるし、8月31日に、読書感想文が終わらないと言ってため息する生徒、休み明けの初日に英単語150語のスペリングテストがあると言って、真っ赤な目をしてあくび連続の生徒。まあいろいろです。
私の息子の夏休みを思い出すかぎり、3ヵ月近くの休み中、宿題に追い回された記憶は全くありません。私の勘違いかと思い息子に聞いてみたら、「全然なかったよ。小学校から高校までで、一度、ノート2枚位の作文を書く宿題を出そうとした先生がいたけど、生徒の猛烈な反対にあって取りやめ!」だったそうです。また、アメリカで学校生活を送った生徒たちに聞いてみたら、鼻の穴をふくらませ、目を吊り上げて、「あるわけないじゃない!」と、完全に日本の宿題に嫌気がさしている様子。21歳になるめいが、中学2年生の夏休みにシドニーにやってきたときも、確か朝から教科書を広げているので、「何をやっているの?」と聞いたら宿題でした。何のためにシドニーに来たんだと腹が立ち、せめて英語だけは終わらせようと手伝いましたが、その量たるや、朝から夜遅くまで付きっきりで見てあげて、3日近くかかったほどでした。主人があきれて首を振ること限りなし。
普段でも勉強、勉強と追いまくられた上に、わずか1ヵ月半の夏休みも宿題攻めに遭う日本の子供たち。逆に、3ヵ月の夏休み、全く宿題が出ないアメリカやオーストラリアの子供たち。その子供たちの間に学力の差はあるのでしょうか。私は、「全くない」と確信を持って言えます。逆に、勉強に追いまくられることの弊害の方が大きいような気がします。
私の生徒の中では、宿題など休み前に適当に終えて遊んでいる生徒や、塾や多くの習い事に行っていない生徒の方が個性的で面白い子が多い。また、何かをやろうとするときに余力が残っています。英語も習い事ですから大きな口で批判はできないのですが、子供たちを見ていて、何かそんな感じがするのです。
例えば私のクラスの生徒で、有名な私立の中学校に通っている1年生がいます。柔道がめっぽう強い子なのですが、唯一習っている英語以外の試験の結果は、母親に言わせると「退学の危機寸前」。しかしこの子は夏休み中に、自分でシャーロックホームズを訳し始めたら面白くてやめられなくなって、分からない個所を聞きに来たりするのです。私の授業はドタキャンすることが多いものの、授業中の彼は頭の回転が速く、大変に教えがいがある生徒なのです。
この生徒が自分の名字を英語風に変えて「ツッシー」というならば、公立中学の1年生で同じクラスの「ツッチー」も習い事は英語だけ。しかも本人が好きで申し込んできました。「ツッチー」はスペリングが苦手で、学校の成績は芳しくありません。でも、難解な(未知の)単語や文章に挑戦するのが好きで、私のクラスでの進歩は驚くほど早い。習い事が少ないこの二人も休み中の宿題を多く抱えていましたが、適当に終えて遊んでいたようでした。
公立・私立関係なく、理科の観察か実験、読書感想文、ぼう大な量の練習問題という同じパターンの宿題。何が目的なのか見当がつきません。私なりに解釈すれば、これも大学受験という日本の教育の最終目的に連結する悪循環の一つだろうと思います。このために作られた歯車に皆が乗せられ、しかし時代が変化するのに伴って新しい歯車に変えなければいけないのに、古い歯車から率先して降りようとする教育者がいない。子供から楽しみを奪うだけで、意味のない夏休みの宿題を廃止しようという覇気のある先生がいない。
塾の弊害が言われていながらも、「塾の先生の方が面白いよ」という子供の言葉が胸に突き刺さる夏休みの終わりでした。
|