人種偏見というのは、どこに端を発するのか分かりませんね 。私のクラスでも、アジア系の人々に対し、驚くような発言をする生徒がいますが、彼らの年齢を考えると、保護者をはじめとする周囲の大人の偏見の映しであるのは明らかでしょう。
私自身は、村上春樹の『Sydney』を読んだとき、少し考えるところがありました。まったくオリンピックに共感を抱かなかったという彼も、400メートルで金メダルを取ったキャシー・フリーマンの優勝シーンには感動し、「素晴らしい出来事だった」と言っています。彼女の優勝直後の放心状態は、わが家でもテレビで見ましたが、アボリジニーであることの精神的あつれきがいかに深かったかがうかがえ、しばらくは見ている方も口が利けませんでした。そのあつれきは、「アボリジニーの女がどうして栄誉ある最終聖火ランナーなんかになるんだといういちゃもんにとどめを刺すには、とにかく金メダルを取ってしまうしかない」という村上春樹の指摘通りです。
実は、私自身、彼らに対してある種の嫌悪を感じていたのを認めなければなりません。それも降ってわいたような理由からでした。
ニューサウスウェールズ大学は新設で、古い大学の学力沈滞を修正すべく、新しい制度を次々と取り入れました。文学部と理学部の学生が専門科目以外のことにも目を向けるように、4つの一般教養科目を義務付けたのもその一つです。日本の大学の一般教養科目と違い、映画・車・コンピューター・絵画などバラエティーに富み、しかも卒業までに終わらせればよく、時と科目をうまく選べば楽しい授業となったはずでした。
しかし、最終学年まで4科目を放っておいた私は、ぎりぎりで申し込んだので残っている科目が少なく、4科目のうち2科目をアボリジニー研究にせざるをえませんでした。その2科目は、名称は違うものの内容はまったく同じで、教科書もカリキュラムもなく、頻繁にゲストスピーカーを代えては、白人のアボリジニーに対する悪業の数々を反復するだけ。しばらくして学生の多くが反感を持ち、授業中、泣き出す女子学生も現れる始末。
もし講義がアボリジニーの起源に始まって、現代における和解への模索というような歴史的筋書きに沿っていれば、反感は持たれなかったと思います。アボリジニーの子供たちを親から引き離した同化政策は愚行中の愚行でしたし、今でも、彼らの生活が改善されているとは言い難い。しかし、アボリジニーのグループと白人の支援団体の運動が、エアーズロックを含む土地返還を導いたという新しい歴史もあるのです。
また、最近は、偏見と貧しさの中で成功したアボリジニーも多くおり、それらをカリキュラムの中に入れてもよかった。そういった時代の変化に関する講義は皆無で、アボリジニーの講師たちは、ただただ白人の残虐性を声高にわめくのみ。唯一の白人の女教師も、人種差別が根強く残るクイーンズランド州の人々を"Those cockroaches!"(ゴキブリめ!)と呼んだりするので、生徒からの反感は当然だったと思います。
わが家は、アボリジニーが集中して住むRedfernの教会にしばらく通ったことがあります。彼らのために活動しているKennedy神父と主人が学生時代からの知己だったからです。壁ははがれ、酔っ払ったアボリジニーがたむろしていて近づきがたい雰囲気でしたが、ミサのときには神父を慕う信者でいつもいっぱいでした。
白豪主義政策の完全廃止が1966年という恐るべき保守的な白人社会と、彼らを憎むアボリジニー。その二極に挟まれ、金メダルを取らねばならなかったキャシーフリーマン。優勝直後の彼女を見て、良心的な人間は、安堵したと同時に「もうこりごりだろうな」と感じたに違いありません。オリンピック終了後、彼女は結婚し、とても幸せそうでした。相手は白人でした。そして、予想通り、アテネオリンピックには出場していません。
自分のことを棚に上げるわけではありませんが、私自身、子供の人種偏見的なコメントは胸にグサッときます。偏見は誰にでもある。ただ、大人は子供の前で簡単に口にすべきではないと思います。これが道徳というものでしょう。
|