同じ場所で3年間教えていると、村のコミュニティーで働いているような感覚になってきます。少人数制なので子供の性格だけでなく家庭の事情もある程度分かる。電話では英語や教育談義に花が咲いたり、問題を抱えた母親が泣き出すこともある。手製のパンやゆでたトウモロコシが届く。皆、お互いに知っていて、うわさ話に笑いが起きる。
もちろん、すべてがスムーズではありません。むしろ腹立つことの方が多い。しかし、あつれきを一つ越えると、その一つ分、お互いが改善されるような気がします。そんな中で思うこと。教育というのは小さい地域の中でうまく機能するのではないか、と。
日本の文部科学省をトップにした中央集権型の教育制度に疑問を感じたりするのはこのためでしょうか。小学校の英語導入もゆとり教育も、その裏に子供たちの顔が見えてこないのです。地域や学校の特質を考慮して選択の余地を持たせる「ゆとりある文部科学省」にならないものか。もしゆとりが出たら、地方に教育の権限を委譲してもよいのではないかとも思います。
地域によっては、小学校から英語教育など必要でないところもあるし、逆に、公立でクラスの3分の1が帰国子女、なんていう中学もある。ゆとり教育に関しても、土日に子供が休みでは困るという共働き家庭が多い地域もあるだろうし、科目も、地域産業に伴い、その土地で力を入れたい分野もある。必修科目数を減らして内容を高度にし、選択の幅を広げたらどうでしょう。
ただ、日本の問題は制度だけではありませんね。長期の中央集権体制で、一律に良い点を取ることが価値基準となっている社会に文句を言いながらも迎合している国民自体、「自分で決める」という能力を喪失しているような気がしてなりません。
でも、徐々にですが、変化してきているのは事実だと思います。特に、大学の合格数を競っていない私立の高等学校に独自のカラーを持った学校が出始めている(これがゆとりだと思います)ということに気が付きます。
その一つは、日本で初めて高校中退者を全国から受け入れた北星学園余市高校でしょうか。元「不良」で、今、母校に戻り教壇に立つ義家弘介さんの著作『ヤンキー母校に生きる』(文芸春秋)と『不良少年の夢』(光文社)を読み、学校のアイデアと地域との連結、教師たちの熱意にとても感動しました。立ち直ったのは、心ある人たちの必死の寄り添いの結集だと言っていますが、その一番大きな要素となった北星学園。「教育方法論という名の変化球は子供を惑わせるだけ。心ある大人の直球が大事だ」とも言います。教える立場にある今、同感です。毎年、涙、涙の卒業式。特に親の涙は特別な感慨を持ったものでしょう。
私の身近な例では、不登校だった中3の生徒が入学を希望している都内の学校が挙げられます。彼女は、英語に力を入れていることと、「不登校」というレッテルを大目に見てくれる学校という条件であちこち見学に行っていたのですが、その学校の学園祭で、障害を持った生徒が人気を博している姿を見、留学生も多く、アメリカ人留学生の「もっと長くこの学校に留まりたい」というようなスピーチを聞いて感激し、自分が入るのはここしかないと思ったとか。予算的に無理なため、奨学生を目指して最後の中間試験をがんばっています。ドタキャンの名人で気分にもムラがあるのですが、今は、3年間通った彼女の英語への熱意を応援したい気持ちでいっぱいです。彼女によると、都立高校の中にも外国語コースという名を持つ高校ができているとか。でも、不登校のレッテルがあるのであきらめています。
日本の、変わらない教育に業を煮やしたGregory Clark氏が独自の教育信念をもって学長となり、入試から英語をはずした多摩大学。高校では、都立国際高校や他の外国語でも受験できる高校など、パイオニアの学校が出始めています。私の生徒たちが見学に行き、一様に入りたいという玉川学園も特異でしょうか。ただし「高い!」。その高い教育費を払える家庭の生徒が、先日、入学したいと親に示唆したら、父親が「もっと名のある学校にしろ」と言ったとか。内容や子供の意思より知名度。革新的な学校が出来てきて希望が持てる反面、旧態然とした親の意識改革は容易ではないなーと改めて思いました。
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