海外生活の長かった私にとり、英語を教えるということは、言葉の媒体としての英語だけでなく、小さいスケールながら、英語文化を教えることも大事なことだと思っています。例えば、cafeteriaという単語が出ると、オーストラリアの学校にはcafeteriaというものはなく、tuck-shopと呼ばれている売店があって、そこでランチを買い、外で食べます、とか。生徒たちの反応は「いいな〜」。また、アメリカにもイギリスにもオーストラリアにも「給食」はなく、またその適切な訳もないし、日本のようにきれいに詰めたlunch-boxもないから、これから外国に行ったら説明が大変だね、とか。
また、逆に、子供たちにも話をさせることにより、単語を定着させたり、子供たちの生活環境を引き出すのも楽しい作業です。broken armという単語について、苺子ちゃんは、遊園地の巨大トランポリンで、どこかの太ったおじさんが空から降ってきて腕を骨折した話を、小巻ちゃんは、肩車をしてくれた親戚の叔父さんが犬にほえられ、驚いた瞬間に小巻ちゃんを落としてしまい、これまた腕を骨折した話をしてくれました。共に2歳のころギブスをしていたとのこと。小2にとって難解なbroken armという言葉がこれで定着。
「私の家のliving roomは夜になるとbedroomにヘンシーン」と、単語を使って自宅の住宅事情を公開する生徒もいます。"The answer is No.4."と言うと、「4回の表、バッターきよはらー、きよはらー」とつなぐ機転があるのは、小3の憲杜君。Ken went to the zoo to see koalas.という文では、「日本の動物園にはコアラしかいないと思ってんのか? なめるんじゃないよ〜」。これは小3の女の子で、女親分のような言葉ですが、一理あります。
そして、日本に来たとき知らなかった、オタク、イケメン、ジベタリアンなど、多くの現代語の意味も彼らから教わりました。あまり知られていない新語の一つに、雅子様が通われたミッション系の中学校の生徒が教えてくれた、「ザビる」という動詞がありますが、皆さんご存じですか。急に大雨が降ってきて傘を持っていなかったとき、髪の毛がぐっしょり濡れますよね。そのとき、フランシスコ・ザビエルの肖像画を思い出してください。その髪の毛の状態を「ザビっちゃった」と言うのだそうです。
芸能界に関しても、短時間で24年間日本不在の空間を埋められました。「私の隣の席には、コロッケの息子がいるんだよ」と3年前に小1の小巻ちゃんに言われたとき、私は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、ただ「ふーん」。しばらくは、教室の椅子の上に市販のコロッケが置いてある奇妙な映像が頭から離れませんでした。でも後日、コロッケが芸能人だということが分かり、納得しました。
ただ、あまりに話が長く、小3の玲央ちゃんのような要注意人物もいます。second floorという単語が出ると、「先生、韓国のテレビドラマを見たことある?」とくる。「ない」と答えると、あらすじを説明し始め、終わりそうもないので、「英語と関係ない」と言うと「ある」。「なんで?」。「今言ったピンクの車が着いたアパートのsecond floorに主人公が住んでるの」という具合です。movie という単語が出ると、「先生、『フォレスト・ガンプ』っていう映画見た?」とくる。「見たよ」と言うと、筋はスキップするのですが、「人生はチョコレート」とか「コーラを15杯飲むとゲップがでるよ」とか『リンゴをちゃんと食べなきゃだめよ、フォレスト!』『はい、おかあさん』」などというせりふをご丁寧に一人二役で披露。長いので"Enough!"と言って止めさせますが、よく覚えたものだと感心してこちらも楽しんでいるので苦笑いです。
私が子供たちに楽しませてもらいながらも、生徒たちは、程度の差はあれ、着実に英文を読む能力を高めています。教え始めてから3年を経て、外国語というのは、単に言葉を「教える」だけではだめなのだなという思いを今、強くしています。それでは何が効果的か具体的に、と問われると理論的に答えられないのは、やはり根っからの教師ではないからでしょうか。
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