私のクラスには幼稚園から同じ学校へ通っている中1の麻裕ちゃんと玲衣ちゃんという仲良しの2人がいます。大変にぎやかで、授業中は笑い転げ、帰り際には歌を数曲歌って帰ります。あるときはカーペンターズであり、またあるときは賛美歌であり、バッハであり。
私も子供のころ歌が好きで、NHK『みんなのうた』を見ては大声で歌っていましたが、どういう訳か、今でも歌詞を覚えているのが『トレロカモミロ』という闘牛の歌。5人がかりで闘牛場に連れてこられた鼻息の荒い黒牛を前にして、あくびをしながら闘牛場へ出てきた昼寝好きのカモミロは、牛に背を向けておやすみなさいと寝そべってしまう…。
ベビーブームによる競争の中でカモミロのようなマイペースに引かれたのか、野原で目をトロンとさせ、花をくわえているアニメが印象深かったのか分かりません。でも、今、息子を見ていると、私の心に留まったこの歌が知らないうちに影響したのかと思えるほど、性格がカモミロに似ていることに苦笑してしまいます。
息子ですから当然戦争が起きたときのことなども想定しますが、まず彼が銃を持った姿など想像もできません。もし徴兵制のある国に住み戦争が起きたとしたら、私が代わりに戦場に赴いた方が、国のためには役に立つのではないかとも思ってしまいます。
彼は新聞社勤めですからさすがに昼寝はしませんが、至極平和的で、それは趣向——そばと和菓子と温泉——にも表れています。週末になるとガイドブック片手にそば屋と和菓子屋を訪れ、極楽浄土にいるような顔をして帰ってきます。そんな姿からこの歌を思い出すのかもしれません。
そばはかなりの通で、私の作るそばは本物ではないと言ってはしをつけないのは失礼千万。そもそものきっかけは、10代の終わりに京都を一人で旅したとき、そば屋の格子戸の前で入ろうか入るまいか迷っていたら、戸が開き、着物を着たおばあさんのおいでおいでという手招きに誘われて食べたきつねそばが大変美味だったこと。なにか化かされたような話です。今では、神田のそば屋を3軒はしごすることもあり、まさにそばにつかれたとしか言いようがありません。
和菓子も同様で、老舗を求めて近県まで遠征します。家具を見に行った中目黒では、家具屋に行かず、口コミで知った抹茶菓子を食べ、至極ご機嫌。また、日本橋を散策したとき、小さな和菓子屋にふらっと入り、言葉を交わした若い職人さんに、大層感激されたとか。
温泉は、福島で雪に囲まれた露天風呂へ入って以来の病みつきで、主人と2人でよく行っています。お風呂へ入るとき、マナー違反をしては外国人の恥だと、ガイドブックにあるお風呂の入り方を参考に入るのですが、風呂の中で顔を洗う日本人や、外国人だと分かると講釈を始める旅館の人に時々気分を害しています。また、外国人お断りの温泉旅館もあって、外国人観光客誘致の努力に反すると憤慨してもいますが、いろいろ言っても、この温泉巡りはやめられないようです。
さて、トレロカモミロの運命はいかに。牛は角を突き立てて猛然とカモミロに迫ってきますが、カモミロは片手で牛をころがしてベッドの代わりにしてしまうのでした。カモミロのマイペースが鼻息の荒い黒牛をやっつけました、ということなのでしょうか。
一方、わが家の息子も、つい最近考えるところがあったようで、自分でアパートを探して引っ越しました。部屋もきれいにし、都心で家賃が高い分電気代などを節約しているようです。私どもと同居していたときは、スカウトと呼ばれる掃除のおばさんが毎日掃除をしてくれていた全寮制のオックスフォード時代の名残があり、CDや本や洋服が部屋中に散らばり放題。主人に、「おまえの部屋は地震が起きても上から落ちてくるものが何もなくて安全だ」などと皮肉を言われていました。
仕事も、好きなクラシック音楽の記事を書く仕事を社内で得て、来日する音楽家へのインタビューにもいそいそと出かけています。このカモミロ調のマイペース。鼻息が荒い割には(荒いので?)前進しない私は、ときに、うらやましいな〜と思ってしまいます。
これから私も、肩を張らずに「オーレ オーレ オーレ!」。
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