この夏、私自身の時間を優先し、3年間ストップしていた通信教育の夏期講習に出ています。この暑い中夜を徹して試験勉強していますが、好きなことってすごいなと思うのですね。久しぶりの勉強でも、苦になりません。まあ、自分ですごいと思うところが間が抜けているのでしょうが。そんな折、息子から電話がありました。「今日、渋谷で『私は貝になりたい』を見てきたよ」。
旧満州を舞台にした映画ですから、戦後60年の記念上映だったのでしょうか。「古い映画って最後のキャスティングがないから、終わるとすぐにライトをつけてさ、泣いてるときは困るよ」などとこぼしていましたが、とても感動したようです。
私は子供のころ母とよく映画を観にきました。戦後の田舎で娯楽がなかったこともあり、父の勤め先から映画のパスが回ってくると、母は私を連れては出かけたものです。家に私を置いていけないのが理由なので、母が観たい映画ばかり。ですから、記憶に残っている映画はあまりありません。ただ、時代劇で、正義の味方が現れると、観客が総立ちになって拍手をしたり掛け声がかかったりで、私にはそちらの方が楽しみでした。そんな中、全編を覚えている映画が2つあります。『怪談累が淵』と『私は貝になりたい』。
怪談は、お化けの映画の中でも特に怖かったので当然なのですが、珍しく父と行った『私は貝になりたい』の方は、なぜか理由が分かりません。最初から最後まで泣き通しだったそうで、父も不思議がっていました。小学4年生のころだったと思います。父は、シベリア抑留組で、ほとんど戦争のことは話しませんでしたから、今思うと、父がその映画を見に行ったこと自体、不思議でなりません。
そのような話を息子にしたことがあるので、映画好きの彼はどこからか情報を得て観に行ったのでしょう。映画館は満席で、ほとんどお年寄りばかりだったとか。その中で毛色の変わった若者が泣いているのだから、妙な光景だったと思います。
抑留の話をしたがらない父でしたが、何の機会だったか、ボソッと漏らしたことがあります。シベリアでは冬になると、深く積もった氷状の雪を少しばかり掘って——兵隊に力がないので——遺体を埋めるのだそうです。ですから、春の雪解けの時期になると「死体が何列かにきちっと並んで現れてなー」。後は言葉になりません。
当時父は10代だったので、同情してくれた人がいたらしく、厨房の仕事を得、生還できました。祖母は、父は死んだと言われていたので、その驚きは大変なものだったと、涙を浮かべながら話してくれた思い出があります。その祖母は、甲府の空襲で家を焼き払われ、市内を逃げ回った一人です。「どこへ逃げていいのか分からんで、ただ走り回るだけ。遊亀公園に死体がたくさんあって…」などと言っていました。「甲府という軍事産業の全く無い都市でさえも爆撃をうけた」と、日本についての著作が多いIan Burumaの本にもあります。祖母の娘(父の妹)は、結婚後1年もせず夫が戦死。戦後、農家に後妻で入り、苦労したらしく胆石により40代で亡くなりました。
母の側では、兄が一人満州で戦死。また別の兄は、満州の戦地で結核にかかり、日本に引き揚げて間もなく死亡。もう一人は南方に送られましたが、幸いに生還しました。満州で戦死した兄というのは、9人兄弟の長男でした。長身の大変な美男子で、写真を見たとき、「もったいない」と正直思いましたね。戦後、母の家には政府から骨箱が届けられ、中に石が一つ入っているのを見た祖母は、「馬鹿にするな!」と骨箱を放り投げたとか。新聞記者で、戦争に反対だった祖父は、長男が死んだ翌年亡くなりました。
こんな話は、団塊の世代の家庭では珍しくはないでしょう。勉強したかったときにできなかった親の世代は、やがて子供たちにはっぱをかけ、私個人は耐えかねてプッツンとその糸を切ってしまいましたが、団塊の世代も間接的な意味で戦争の犠牲者だと思っていました。でも、シドニーのロシア人の言葉で考えを改めました。
オーストラリアでは毎年、戦争で犠牲になった兵士を偲ぶ、アンザックデイという戦争記念日があり、在郷軍人が市内をパレードします。日本では、第二次世界大戦の犠牲者数が300万に近いのに、敗戦国であるためとてもそんなことはできません。ですから、犠牲者の数が2000万といわれるロシアから来た友人に、「オーストラリア人の犠牲者なんて少ないのにね」と言ったら、戦時中オデッサ(旧ソ連の最重要港湾都市で、第二次世界大戦の激戦地の一つ)にいたというご主人から、「国の戦争の犠牲者というのは数字で測れるものじゃないよ」と静かな口調でしたがたしなめられました。本当にその通りだと思います。
結婚して1年未満で夫を失い、40代で死んだ叔母。長男を亡くした翌年に死んだ祖父。間接的な戦争の犠牲者は彼らのような人々です。『私は貝になりたい』のBC級戦犯とその家族も同様でしょう。彼らのことを思うと胸が痛みますが、私自身が死ぬほどではない。しょせん、心痛の度合いが違うのですね。それを考えると、余計つらくなります。
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