オーストラリアというところは田舎のようでいても、英語圏のため、金融・ITの発達は日本よりずっと進んでいます。日本に来た当初、銀行以外に、英語学校の給与の関係で郵便局に口座を持ちました。しかし、世界一の預金高を誇る郵便局が、都市銀行との連結がなく、ATMで銀行口座に振り込みできないなどとは考えも及ばず、「このATM壊れてますよ」なんて言った記憶があります。謝罪しながら事実を知らせてくれた郵便局の職員に思わず「ウッソー!」。
私の生徒たちの家庭の多くは海外と何らかの関係がある仕事を持っているためか、郵貯口座を持っている家庭は非常に少なく、月謝の振り込み用に郵貯口座を新たに設けてもらわなければなりません。これに関しては、家庭でのグローバルな変化に気が付かない学校経営者の意識の遅れも問題です。英語学校なので、余計そう思います。
今回小泉政権が圧勝し、郵政民営化が本格化します。海外在住日本人70万人、その数倍いる昔の在住者や在日外国人、また現在貿易に従事している方々などの便宜に配慮してくださり、他の金融機関への送金も含め、国際的な流れに沿った対応をしてくれるならば、従業員の質の良い郵便局のこと、利用者は増加するのではないかと思います。
今月、最高裁は、日本政府に対し、海外在住者に小選挙区での投票をさせなかったのは違憲であった、という裁決を下しました。このグローバル化された時代に、立候補者の情報を海外在住の日本人に与えられないことはない、という理由からでしたが、当然のことだと思います。この裏には、面倒なことは避けたがる在外公館の怠惰が見え隠れします。今回、最高裁が海外在住者代表の訴えを受け入れ、グローバル化に合わせた判決を下したことは大変心強いことです。
オーストラリアでの郵政民営化は1989年でした。これにはちょっとしたわが家の逸話があります。オーストラリアにも特定郵便局のようなものがあり、ワトソンスベイというシドニー湾入口の風光明媚な一等地に、定年近い夫婦が、政府から与えられた郵便局を兼ねた一軒家に住み、数十年郵便の仕事をしていました。もちろん土地の人たちとは顔なじみでしたが、観光客の数に比して住人はほんの一握り。そこで、民営化を機会に閉鎖に追い込まれたのです。
郵便局の夫婦は苦情をことあるごとに言っていたのでしょう。さっそく地域住民により、といっても60代後半から70代のお年寄りたちですが、郵便局閉鎖反対運動グループが結成されました。土地っ子の一人であるわが家の義理の父もこれに参加し、ビラを配ったり自治体と交渉したり、かなり活発に運動を展開しました。しかし、当の郵便局長は何もせず、傍観しているだけ。そのうちに周囲の人々もこれに気付き、やがてグループ全員が運動を放棄してしまいました。
結局閉鎖となりましたが、局長自身は反対運動に手を付けていないので、退職金をまるまるもらっておさらば。「運が良ければ土地っ子の運動で仕事を継続、それがダメなら退職金」という両天秤で、安泰な生活にどっぷりつかってきた人のメンタリティーだと、運動に協力したお年寄りたちにいたく同情したものです。
日本の話に戻ると、郵便局だけでなく銀行や不動産業界等での金融の遅れは、現金主義から脱却できない点にも原因があるような気がします。この是非は社会学者ではないので断言しがたいのですが、小切手の発達した西欧圏に長い間住んだ者には、日本の現金社会は不便極まります。身近な経験では、不動産業界の頭金。持っていく方もヒヤヒヤものですが、世界に名だたる経済大国で、大手不動産会社の若手社員が背中をかがめて一心不乱に札を数えている姿は「時代遅れ」そのものです。その光景に主人は目を白黒。
また、この現金主義は、昼食時のATMを占拠します。ATM台数の少ない銀行で振り込みのために待たされる時間は半端ではありません。待つことには慣れている日本人にも限界があるようで、いつだったか客が「支店長を呼べ!」と大声で怒鳴ったことがありました。広尾だったので待っていた中に外国人も多くおり、怒鳴ったお客さんは、彼らから「サンキュー」などと言われていましたが、出てきた支店長もなす術を知らず、ただ謝罪。
もちろん西欧の銀行でも待つことはあります。先日、教材の英語の長文に「日本の銀行は待たせるが、西欧の銀行は待たせない」という馬鹿な文章があり、「よく言うよ」と破棄してしまいました。オーストラリアでは銀行員は客にはかまわず昼食に出かけるので、客から罵声が飛び、なかなか迫力のある場面が見られます。でもこれは国民性の問題。日本はシステムの問題なので、誰かがイニシアティブを取れば変わる可能性が十分にあります。では誰が、となるとこれまた頭の痛いところが日本の問題でしょうか。
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