オーストラリアに存在しない教育機関。それは国立大学に付属する小中学校と高校です。私の生徒の中にも国立大付属小中学校に通う生徒がいますが、何回説明を聞いても内部の進学システムが理解できず、4年目にしてようやく分かりかけてきた、というところ。そして彼らの生活環境を見ながら、何かがおかしいと思うようになりました。私自身がこのシステムを完全に理解したうえでのコメントではないので、誤解している面があるかもしれませんが、今感じている問題をあえて書くならば…。
去年教えた国立大付属中学2年の女生徒は、高校進学のため、月曜から日曜まで見事に塾と家庭教師で埋まっており、それに加えて夏期・冬期・春期講習で長期の休みもほとんど塾。それを同学年の生徒のお母さんに話したら、雑誌記者である彼女は、国立付属に子供を入れる家庭は教育熱心で経済的に恵まれているけれど、月謝は私立より断然安いので、塾や家庭教師を多くアレンジできる余裕があることは確かです、とのことでした。
それはさておき、国立大付属は私立と同じ持ち上がり(俗にいう「エレベーター」)で高校へ入れると思っていた私は、生徒から「付属中学から付属高校に持ち上がりで進学できる枠は毎年10人くらいで、残りの生徒は改めて受験」と聞いて大変に驚きました。ということは、授業料は公立高校と変わらず、加えて国立としての特権もあるので、成績優秀な公立の中学生たちが競って挑戦するのでしょう。どおりで有名大学合格のランク付け上位に国立大付属高校が多く載っているわけです。しかし、ここでまた私の疑問が生じます。要するにこのシステムは、外部の生徒にチャンスを与えるという名目とは裏腹に、高校受験をダブルに過激化しているのではないかという疑問です。一つは外部からの受験、もう一つは内部の生徒の受験。
その大変な競争に打ち勝って合格した生徒による国立大付属高校の実績と知名度が、オーラとなって小中学校にまで漂っていることは見逃せません。私も最初は学校の名前を見て、すごい学校に行っているなと思ったものです。しかし次第に、付属の小中学校は高校の名声とは別個に見た方がよいと思うようになりました。これは彼らの学力が名声ほどではないという意味ではありません。系列の高校に持ち上がりとして入れる枠がごく少数に制限されているために、大学受験に重きを置く日本の社会体質と、周囲の流れに迎合しやすい日本人の性格も加わって、付属の小中学校に通う私の生徒たちが日常生活でかなり圧迫を受けている事実を次第に感じ取るようになってきたからでした。
前に述べた中2の生徒は、系列の付属高校進学はあきらめ、ほかの高校を物色しましたが、中学の名前が壁となってなかなか思う所に決められませんでした。見学に行って大変気に入った高校も、父親や塾の教師の反対にあい断念しました。理由は、今通っている国立大付属中学の知名度に相当する、もっと名のある高校に入れというもの。塾にしてみれば生徒の有名高校への合格は、学校の宣伝にも使えます。商業ベースに利用するため、子供の希望より知名度を優先するという何ともやりきれない話でした。
あと一人、別の国立大付属に通う小4の生徒は、大好きなバレエを最近やめました。もうすぐトーシューズをはけると楽しみにもし、とあるショーによい役で抜擢されるほど熱を入れていたのですが、まずは系列の中学に確実に入ることと、高校への持ち上がり10人の中に入るためには、バレエなどやっている余裕はないからとのことでした。一時は大変な落ち込みようで、教室で私にレヴューのダンスを張り切って見せてくれた姿を思い出し、つらい気持ちになりました。彼女のバレエへの愛着や技術に比較すれば、高校で10人の枠に入ることなど何ら価値はないと思ってしまうのは、外国生活の長かった私だけの思いでしょうか。
全部の国立大付属高校が、持ち上がり少人数枠制をとっているのかどうか知りません。ただ、たまたま、私の生徒たちの生活環境を見、彼らの話を聞き、考えさせられる機会を得たのですが、今でも測りかねる点が一つあります。それは、学校の名からくるプライドと現実のはざまで高校入学時に苦労するであろう事実を知っていながら入学させる親の信条です。残念ながら私はジャーナリストではないので、親の想いは伺ってはいませんし、話を聞けば理解できる面が出てくるのかもしれません。
先日、もう一人の国立大付属の小学校4年生が私に言いました。「私の学校では毎週月曜日は授業がなくて『お遊び』なの」と。国が打ち出すゆとり教育を付属の教育機関で実践しているのでしょうか。しかし本当かいな! 子供サイドのこれら信じがたい話にだんだん確信がなくなってきたので、このへんで打ち切ることにいたします。
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