息子の、入学してから数ヵ月のメールには、まだ興奮さめやらぬ調子で、新しい大学生活のことが書いてあり、読んでいて楽しいものでした。私が大学へ行ったのは30代の終わり。卒業証書は手に入れましたが、大学生活をおう歌したとは言いがたい。その点、息子のメールからは「若さ」がにじみ出ていて、せん望も感じました。私の年の者から見れば「馬鹿さ」とでも言えるようなことが、かえって新鮮に映ります。
「ボードリアン図書館の、日本の蔵書がある階に行き、その貴重な蔵書の豊富さに目を見張りました」。
維新前後の混乱期に英国人が持ち帰って、大学に売却したか寄付した原書なども多いのでしょう。
「大学で、日本から招待した『俳優座』の公演があるので、今夜行くつもりです」。
これは珍しい。
「大学は学生に対し残虐極まりないと思います。学部の講義はなんでこんなに朝早く始まるんだろう。今日も朝9時から。しかも土曜だよ。講義室から一番遠い寮が、フローリー(クイーンズカレッジの新入生寮)で、徒歩で実に40分。講義室に入って、クイーンズの同胞の顔を見ると、2人とも焦点が定まらぬ顔をしてます。講義後、寮に戻って寝直しています」。
チュートリアルと呼ばれる一対一の講義はカレッジで行なわれるので、距離的には問題ないのですが、学部全体の講義は、ほかのカレッジより一番遠い講義室で行なわれたようです。朝9時がつらいのは、新入生にとっては万国共通なのでしょうが、これに対する主人の返事も万国共通…。
「9時が何だ。早起きは心身の健康に良い! ただし、君に心があればの話だ。体があるのは分かっているが…」。
ちょっと親には耳慣れない話として…。
「Provost(学長)主催のディナーに行ってきました。学長は建築に興味があるらしく、最近建てられた教会のモダンな建築について自説を述べるのに熱中しすぎ、ゲストのコメントは無視。そのうち、僕の座っている場所の床の材質を、手を触れながら説明し始め、身体はかがめているのに、パテーを持った手だけはまだテーブルの上なので、学長とのちょっとした応答に、僕はパテーと話をしているような格好になりました。でも、おいしいパテーだったな〜」。
まあ、オックスフォードやケンブリッジの、一風変わっている教授陣を描写した抱腹絶倒のユーモア小説も多くありますから、その変人さ加減は有名なようです。
クリスマスのころから新年にかけてのメールは全くありません。実はこの時期、主人が息子に会いに行ったのでした。ロンドンでクリスマスを迎え、記念にコノートホテルでランチ。ジャケット必着で、セーター姿の息子はレストランで借りたとか。その後オックスフォードへ行き、息子のアレンジで宿泊したクイーンズカレッジのゲストルームを拠点に、コッツウォルドやバス近辺を車で1週間ほど2人で旅行したようです。シドニーに帰ってきて、それは楽しそうに話していたのを思い出します。一つ気に入らなかったのは、フローリーの建物のひどさでした。典型的な1960年代の近代建築で、周囲の景観に合わず、息子の部屋が比較的良くても、がまんがならなかったようです。
さて、旅行中の天気はいつもラッキーな主人で、冬の英国には珍しく青空も見えていたのですが、主人の帰国後天気は急変し…。
「憂うつになります。この数日はどしゃ降りで、普段でも陰気なイギリスの空が、一層どんよりしています。チャーウエル川はついにはんらんしました。モードレン橋の下にある島は水浸し。僕の部屋から美しい姿を見せていた白鳥は、川の流れに逆らおうとあがいたり押し流されたりで、これを見るのはつらい」。
息子が白鳥を嘆いているのに対し、主人のメールは…。
「チャーウエル川がはんらんしたって? 喜ばしいね。これを機会に、フローリーの前にある前代未聞の醜い手すりが流れてくれれば良いと思ってるんだが。いっそのことフローリー全体が流されてしまえばよいと願ったよ。でも、まあ、息子が住んでる場所だからそうもいくまい。今回は断念することにする」。
ともかくも、この主人との旅行は、息子にとって転機となったようです。この後、大学での活動よりも、頻繁にロンドンへ行き、安いチケットを買っては、演劇やオペラ、絵の展覧会などを訪れるようになりました。
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