クリスマスホリデーを息子と過ごした主人は、帰国後メールで…。
「たまには、父親と休暇を過ごすのも良いものだろう。今回は、君が予想していた以上に楽しかったに違いない(どうも自分の感情を押し付ける癖が抜けないようで…)。ヒースロー空港を去ったときは寂しかったが、君にはこれからぼう大な量の勉学が待ち構えていて、父親との別れを悲しんでいる暇はないだろう(何をおっしゃいます。かえって喜んだのでは…)。ともかくも、勉学は若き日の特権といえるのかもしれないな。But No ! しかし、そうであってはならないのだ!(まるでリア王です)。ロンドンに近い利便性を利用して、英国の文化の刺激を継続して取り入れることを薦める。シェークスピア劇団の「テンペスト」に行ったようだが、あのプロダクションは良かっただろう」。
主人と休暇を過ごしたあと息子は、大学の部活に見切りをつけ、ロンドンへ頻繁に出かけるようになったと、前回も申し上げましたが、これは、それまでの家庭や学校や友人など彼の育った環境からくるもので、特殊といえば特殊、自然といえば自然で、なんとも説明しがたいところがあります。全国一斉高校卒業試験では大変な好成績を取ったものの、長い間専念してきた音楽にも未練があり、卒業後はシドニー大学で音楽を専攻しました。
音楽活動の主体はピアノでしたけれど、本当の興味は、「フィガロの結婚」を幼少時に見て以来の、オペラ。そして、その後の主人の影響も大きいものでした。息子の趣味をここぞとばかり利用し、友人たちとの会話の種にと、オペラや芝居やコンサートなど、頻繁に息子を連れ歩いたのです。小学校から高校まで通ったSydney Grammarも、イギリスの著名な指揮者Mackerras氏の実兄が学長で、大変に音楽に熱心な学校でした。ですから、非常に高い技術をもったチェリストやヴァイオリン奏者も学生の中におり、彼らと共に室内楽で数多くの演奏の場を多く与えられました。また、息子が得意とした古典語の教師たちも音楽に対する造詣が深かった。現在の学長がその一人です。
しかし、卒業後足を踏み入れた音楽教育に疑問を感じ始めた息子は、1年たって方向転換し、オックスフォードの東洋語学科に入学。そして、趣味として音楽を継続することを望みました。ところが、オックスフォードでのピアノの入手はままならず、室内楽は音楽部の生徒で占められ、入学後しばらくフラストレーションがたまっていたようです。そんな折、父親と過ごしたロンドンでの数日。そして父親が購入して残していったシェークスピア劇団公演の「テンペスト」のチケット。後日、息子はメールで…。
「本当に今回の『テンペスト』は、僕の芝居に対する考えを根底から変えました。後半の言葉の美しさは何とも言えません。もう一度本を読んでみたい衝動にかられています。かなり前衛的な演出だったけど、解釈は伝統に沿っていました。そして演技は最高。特に最後のシーンのプロスペロは本当に素晴らしかった」。
こんなことを書くと、別の次元の人間のような感じもするでしょうが、それまでの彼を取り巻く環境がたまたま英国の文化にフィットしただけの話です。それに、絵画に関しては、大学の友人にとても詳しいのがいて、2人でロンドンの展示会に行っていたというので、まんざら息子だけが特殊だとも思えません。しかしながら、このような環境からくる非現実的な面は多々あり、今でも、雲の上に寝転んで好物の和菓子を頬張っているようなところがあります。一例として、そのころBlackwell書店で本を読んでいる最中にコンタクトレンズを紛失し、父親に、怒られるというより、あきれられ…。
「本を読んでいるという静止状態で、コンタクトレンズを紛失するということは、よほどそのコンタクトレンズは君の目から飛び出たかったに違いない。一体、何の本を読んでいたのかね。それが教科書だったら、さすがのコンタクトレンズも、ショックで飛び出るだろうね。今度ブラックウェル書店に行くときは、なるべく君の目にショックを与えないような本を選んだほうが良い。さらに、大型の本を薦める。コンタクトレンズが落ちた際の受け皿になってくれるだろう(馬鹿なことを言っています)。なにしろ310ドルもかかったぞ。昨日、パリパリの新札で支払ったから、すぐに送るつもりだ(パリパリの新札に意味があるとも思えませんけれど)」。
それに対し、息子は、謝罪したあと…。
「コンタクトレンズを落としたときに読んでいたのは、Samuel Butlerの『The Way of All Flesh』(万人の道)という文庫本でした」。
まともに答える方も答える方で、やっていられません。「特殊」という言葉を、「変人」と置き換えると、通用する家族のようで…。
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